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日本人は英語がうまい?

文科省が「英語が使える日本人」を作るための「戦略構想」を発表したり、TOEFLの国際比較で日本人の平均点が低い(156カ国中144位だった年もある)といったことをとりあげて、「日本人はとくに英語ができない」という主張?がしばしばおこなわれる。

マーク・ピーターセン氏(明治大学教授)は、これはでっちあげだと強調する。日本人がとくに英語が下手という事実はないと。

じっさい、TOEFLの平均得点が低いというが、TOEFLは受験料が高いから、日本以外では留学候補者のようなエリートだけが受験する。軽い気持ちで受験する人が沢山いる日本とは、もともと受験者の質が違う。だから「TOEFLの国別平均点は無意味な統計なのだ」(マーク・ピーターセン『英語の壁』文春新書、2003年、37頁)。

ピーターセン氏がもっとも嘆くのは、文科省自身が、日本の中学・高校の英語教員の英語力が低い、などと公言していることだ。ピーターセン氏の経験では、「地方をまわって現場の先生に会ってみると、むしろ英語力は驚くほど高い」という(同上書、37-38頁)

英語教師を含む日本人の英語力は低くない、というピーターセン氏の主張は、多少とも彼の優しさからくるものかもしれない。英語で人間の優劣を決めるかのような風潮は、彼のヒューマニズムからして許せないのだろう。

けっきょく、何が悪いかというと、「全員にいやでも英語を覚えさせる」という日本の教育方針であり、英語をどこまでやるかは個人の判断にまかせるべきで、しぶしぶやっているような人まで巻き込む必要はないと、ピーターセン氏は力説する。

大学で、英語嫌いの学生にも英語を教えているピーターセン氏の目からみると、「英語全員強制」の弊害は目に余るのだろう。

では、本当のところ、日本人の英語のレベルは、どうなのか? 

私としては、「ある意味低いが、それは仕方がないことであり、かなり多くの国でも、似たようなものだろう」と答えたい。

以前私は韓国の書店で、韓国人が読んでいる英語の参考書を手にしたことがあるが、冠詞について日本人向けの本と同じような注意が書いてあった。日本語と同様、韓国語にも冠詞がないので、冠詞を駆使するのは、韓国人にとっても著しくむずかしい。

そして冠詞のように重要なポイントについてさえ、どの国でもおおざっぱな説明・教育しか行われていないという実態がある。英語の冠詞がまともに使えるようになる外国人向けの優れた教育メソッドは、まだ存在しないのだ。

現状では、母語に冠詞がある言語の話者か、一部の才能ある人しか、冠詞ひとつまともに使えるようにはならない。

日本人の英語のレベルが国際的に低いと嘆いたり、それはなぜかと議論すること以上に重要なことは、英語が本当に身につくメソッドを一日も早く開発し、普及させることだ。

それがないのに、中学・高校の英語教師の英語力は英検準一級が目標(文科省)などと言ってみても、どこか空しく聞こえる。


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