見出し画像

外国語の恐ろしさ 有名講師の自信が崩れたとき

東後勝明(とうご・かつあき)氏といえば、NHKラジオの英語会話を長年担当した、日本を代表する英語教育家の一人。

その自伝に、印象的なエピソードがある(東後勝明『新版 英語ひとすじの道』筑摩書房、2002年)。

NHKラジオ英会話の講師としてすでに高名であった東後氏は、ロンドン大学で開かれた世界英語教育学会に、日本代表として出席し、Learner-centered Methodology (学習者中心の教授法)というテーマのシンポジウムの司会を任された。

以下、氏の自伝からそのまま引用しよう。

「発表者の発言が終わり、パネリストと会場参加者との意見の応酬が始まると、じょじょにその英語に圧倒され、そのうちについていけなくなりました。

頭の中が一瞬真っ白になり、

『ああ、ダメだ!』

と。

全身からサーッと血の気が引いたあの恐ろしい瞬間。

あとは、どうのようにしてその場の議論を収めたのかも覚えていません。

私の英語に対する自信だけが、ガラガラと音をたてて崩れていったのを覚えています。」

東後氏は、ホテルに帰ると考え込んだ。

「なぜだ?」
「どうして、こんなことになるのだ!」
「これまでの勉強は一体何だったのだ!」(208−209頁)

この痛烈な体験から、氏は次のような疑問を抱いたという。

「① 日本人が英語を自由に使えるようにならないのは、どこかに決定的な要因が潜んでいるのではないか。

② これまでの文法、文型中心の勉強には限界があるのではないか。

③まず覚え、練習をし、それから使うようになる、という勉強の順序では使えるところには到達しないのではないか。

④ ことばを知っていることと、コミュニケーションの目的のために使えることとは、別問題ではないか。」209頁

こうして東後氏は、もう一度留学して新しい方法論を習得しようと決心し、NHKの放送も降りた。209頁

有名な英語の専門家が、この屈辱的な経験を正直に書いた勇気に頭が下がる。そして、もう一度はじめから出直した真摯さも、印象に残る。

私にも似た体験がある。

東後氏のように、外国語のカベの厚さを実感した人ほど、真の方法を心から求めるものだとも思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?