初歩でつまずいている日本の英語学 小島義郎氏の代名詞論
『ルミナス英和辞典』などの編纂で著名な小島義郎氏(早稲田大学名誉教授、1928-2009)は、
「日本語には英語と同じような人称代名詞がない」
と述べている。「顕著な例は、英語の人称代名詞 itに当たる日本語が存在しないことである」と(小島義郎『英語辞書学入門』三省堂、1984年、167、164頁)。
小島氏によると、it は「それ」ではない。日本語の「彼」「彼女」も、he、she とは違う。日本語の「彼」「彼女」は人称代名詞ではなく、「明らかに指示詞」なのだという。164頁。
「指示詞」というのは、実物を直接に指で「指し示す」言葉で、英語ではthis、that ぐらいしかない。it も「指示的意味はもたない」。日本語の「それ」は、英語ではむしろ that である。181、174、182頁。
つまり、he も she も it も、目前の「実物」を指すのではなく、英語の中の「言葉」を「受けなおす」言葉だという。しかも、この「受けなおし」は半ば強制的で、そうしなければ英語らしくなくなるという。
じつは、以上の小島氏のややこしい議論には、根本的な錯誤、あるいは曖昧さがある。
「代名詞」とは、話し手の意識の中の対象が話し手とどういう関係にあるかを直接述べる語である。そもそも言葉とは、話し手の意識の内容を述べるものである。実物を直接指して話している場合も、実物が話し手に認知され、話し手の意識にのぼることが前提である。
「それ」が実物を直接指し示す「指示詞」だとか、it が英語の中の「言葉」を「受けなおす」言葉だいう小島氏の言い方は、そのことがわかっていないか、曖昧にしているように思われる。
「それは出来ないだろう」
というときの「それ」は、はたして実物を直接指し示しているだろうか。
It will rain tomorrow.
というときのit は、英語の中の「言葉」を「受けなお」しているだろうか。
それにしても驚くのは、著名な英語学者が、言語の基本について、このように混乱した認識を抱きつづけたらしいことだ。
こういう根本的なところでの錯誤が、日本の英語学習のあり方に深い影響を与えていないだろうか。
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