見出し画像

「おやすみなさい」は全人類を救う

銭湯に行くと、公衆の場なので私1人ということは殆どなく、たいてい他のお客さんがいる。
知らない人同士で隣り合ってお湯をつかい、同じ浴槽であたたまる。

そんな時、どこまでコミュニケーションを取るか問題ってあると思う。相手の性格にもよるし、気分にもよる。私だって、話しかけられたらいっぱい喋っちゃう日もあれば、「今日は誰にも話しかけられたくない」とトゲトゲしている日もある。

銭湯と似た公共の場である、駅とか、電車の中とか、エレベーターの中とか、知らない人同士で同じ空間を共有する場所は他にもあると思う。

何で人はエレベーターに乗るとみんな入り口の方に向かって立って、それまで話していたのに急に沈黙するんでしょうね?私、エレベーターの沈黙が我慢できなくて叫びたくなる時があります。客観的に想像すると、複数の人間が同じ方向を向いて黙って高速上昇していくのは面白いなあと思う。

脱線してしまった。公共の場で我々がどう言う会話をしているかというと、必要な時以外殆ど会話は交わしていないんじゃないかな。今、この1週間を思い返してみたけど、私が発した言葉は狭いところを通ろうとする時「すみません、うしろ通ります」と言ったくらいだなあと思った。

銭湯に話を戻すと湯上がりに身支度を終えてさあ出よう!と言う時、そばに他のお客さんがいた時、あなたなら声かけます?かけるとしたら何て声をかけますか?

ケースバイケースだと思うんだけど、常連さんや友達同士で盛り上がってる時には私はそっと出ていく。もし目が合ったら会釈はする。1人客が数人だったら誰にともなくちょっと声を張って「おやすみなさい〜」とか「お先に〜」と言って出る。

でもこれって大抵の場合はリアクションがなくて少し寂しい気持ちになる。言われた方は多分自分に言われたのか違う人と知り合いでその人に声かけたのかが分かんないから反応できないんだろうなと思う。でも、無言で出るのはちょっと気持ち悪いなと自分の都合で挨拶しちゃう。

脱衣所に私以外1人しかいないって時はもうその人に向かってガッツリ視線を合わせて「おやすみなさい〜」って言う。それでも戸惑ったように目を逸らされたり無視されたりする時は往々にしてある。ちょっと寂しいけど、「今日は誰にも話しかけられたくない気分なのかな」と思う。自分にだってそう言う日はあるから、お互い様だし。

だから、たとえば挨拶したらそれまで無表情だったご年配の婦人がとってもいい笑顔で「おやすみなさい、気をつけてね」と返事してくれたりすると、めちゃんこ嬉しい。スキップして帰りたくなる(大人なので実際にはしません。ちょっとしか)。挨拶をして、それを返してもらえただけでこんなに嬉しくなるなんて異常かな?ただなのにこれだけの喜びをもたらす挨拶をしない手はないぞ、と私は思っていて、たとえ無視される時があってもその喜びの一瞬を求めて今日もついつい挨拶をしてしまう。

欧米の人は知らない人とすれ違う時、言葉は交わさなくても一瞬口角を上げて微笑むのが一般的。あれって、「私はあなたに敵意はないですよ」という表現とどこかで習った。同じように挨拶は「私はあなたを1人の尊重すべき人間として認識していますよ」という宣言だと思う。

湯上がりに幸福度が爆上がりするのって挨拶以外にもコーヒー牛乳飲むとか、飲める人はビールで乾杯とか、帰った途端に爆睡とか色々あるけど、挨拶を交わすのって自分以外の人も介在してくるからか、幸福度が高い。もしかしたら湯上がりの声がけは、世界平和につながる道のひとつかもしれない(大きく出た)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?