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誰もいない?そうです、誰もいません。

前回の投稿から間があいてしまいましたが今回も引き続き「もう一つのあえて描かないもの」について書いていこうと思います。
前回のはこちら。

絵の中に描かれたもの

前回の記事で「主人公は鑑賞者であるあなたです」と言う風に書きました。
主人公があなたである以上、絵の中の物語を作るのもあなたです。
描かれている風景から色々な状況を読み取って想像すると思います。
「時間」「季節」「場所」「温度」「心情」
一枚の絵と言うごく限られた情報からその絵のストーリーを自分なりに感じて観賞していると思います。
ではここで一枚例を出してみましょう。

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これは「描いてある方」の例ですがお気づきでしょうか?
左下の方に猫が一匹います。
どこを見ているのでしょう?橋の向こう?ワイヤーの上乗れるかな?とか考えているのでしょうか。よく見ると首輪もしています。家出か、それとも散歩か。いずれにしろ野良猫ではないようです。

…と、猫一匹描かれているだけでもそれなりな情報量がありますね。
ここで気づいてほしいのはこの絵の主人公は「猫」であると言う事。
猫を主軸にストーリが想像されていきます。
それと同時にこの「風景」は「背景」として機能する補助役となってしまいました。
絵を見る側も「猫の物語」を絵の外から見ている「鑑賞者」と言う立ち位置で「主人公として絵の中に入り込む」ことが難しくなってしまうように思えます。

確かに絵の中の物語を描く上で情報量を多くすることは
作者の意図した物語を読み取ってもらうのであれば有用な手段です。
例えば人間を描いてそれらしいポーズをとらせればいい。
絵の中の人が物語を語ってくれますから。

しかし情報量を増やすことは物語の可能性の幅を狭めることにもなります。
「絵の世界に没入し、鑑賞者ごとに違った物語を感じてほしい」
という思いがあります。
そのためにはやはり情報は最小限にしないといけないんですよね。

描かれないもの

ここからが今回のメインです。
今後の作風として変わるかもしれませんが、この記事を書いている段階で描かないようにしているもの、わかりましたでしょうか?
先の例では猫でしたがこれは象だろうがダンゴムシだろうが同じ。
描かないもの、それは「生物」です。
絵の中に生き物が1個体でも見つかった瞬間、不思議なことにその生き物へと興味が集中してしまいます。
その生き物がなぜそこに居るかとか、何をしているかとか色々と思いをはせてしまうと思います。
風景画家としては実に悔しい(苦笑

OD-210126(スキャン、300)

例えばこの絵、生き物はいないので主人公は鑑賞者の「あなた」であり、
この絵は「あなたが見ている景色の絵」という認識ができるとおもいます。
ところが蝶を一匹描き足したとしましょう。
するとその瞬間に絵の主人公は「蝶」であってあなたではなくなるんです。
絵の主題も「蝶が舞う風景」とかに置き換わってしまいます。
置き換わった瞬間、自分が絵の外に放り出されたのが感じられるでしょうか?
わかりづらいかもしれませんが何となく分かっていただければいいです(笑

というわけで風景が主題の絵には生き物を描かないようにしています。
その代わりという訳ではないですが「人工物」をなるべく描くことにしています。(これは前回にも描きましたが)
身近な人工物を描くことでその絵の世界はファンタジーの風景なのか現実に近い風景なのか鑑賞者にぱっと見で判断してもらう為と、なにか人の痕跡があることで絵の世界にも親近感がわいて没入しやすくするためです。

さて、長々と書いてきましたがまとめると
「生き物を描かないことで鑑賞者自身が絵の世界の主人公として没入しやすい状態を作り、各々の物語を自由に想像してもらえるようにしている。」
と言うお話でした。
今後私の作品を見る時の参考にしてもらえればと思います。

それではまた。


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