映画『駆ケグルイ』を見て、個人的に滾った3つのポイント


まず、前置きをすると、自分は、『賭ケグルイ』は映画から入った超絶にわかである。後追いでドラマを見て、漫画も追い始めた。
ただ、映画に関してはオンライン試写を含めてすでに5回見ている。
本当は原作を読み込んだうえで考察を深める作業をしたい気持ちがあるが、とりあえず映画の記憶が新しいうちに、個人的に滾ったシーンを書き残しておきたい。

1.楽しそうな生志摩妄ちゃん

ヴィレッジへ退去命令に来る美化委員の生志摩妄ちゃん。
ヴィレッジの学生に対し、「ゴミくず」「虫けらども」などと散々な言い様だが、
いざヴィレッジが反撃にでたときに、「ゴミくずのくせに生意気な…!」という態度をとらないことが意外だった。
「げ…」「こわ…」と言った後、にやりと笑う。ここがいい。むしろなんだか喜んでいるようにも見える。

個人的に、このあとの "ヴィレッジVS生志摩妄率いる一行" の乱闘シーンは笑ってしまった。
ギャンブルで戦う作品なのに、まんま体でぶつかっていくのが滑稽にうつったからだ。
でも人間っていうのは、拳で殴り合う時は、地位とか権力とか無関係に対等だなとも思った。
上下関係というのは幻想で、我々はその気になれば対等に殴りあえる。

このシーンは妄ちゃんが楽しそうでよかった。自分はとても気に入っている。

ついでに、この乱闘を抜けたヴィレッジが10億円を賭けに行き、その賭けに勝って歓喜する場面も最高に興奮した。

2.歩火樹絵里の歪んだ思想

歩火樹絵里は、生徒会長を相手にギャンブルをするときも肝が据わっている。
運もある(票争奪ジャンケンを見ても、犬八のジャンケンの弱さと対比するように、歩火はシンプルにジャンケンの強さで勝ち抜いているようだった。)

ところが会長に負けた瞬間、豹変し、服従欲求が目覚める。

歩火樹絵里はおそらく、完璧主義者なのだろう。
度胸もあり、実力もあり、自分にもストイックだったはずで、そんな自分を認められることこそ、ゴールだった。

歩火の歪んだ思想は、蛇喰夢子の発言に指摘される。

ギャンブルで最もつまらないことは、誰もが勝利を求めるなか、それを嘲り、勝負を放棄すること。
あなたの敬愛する生徒会長も口癖のようにおっしゃっているでしょう。楽しませろと。
その生徒会長の前で、よくもまあ、こんなことをする胆力があったものです。

ヴィレッジは、現実における宗教や思想集団を風刺しているような組織である。
賭ケグルイにおけるギャンブルの世界というのは非現実的であり、「非ギャンブル、不服従」の思想は一見まともなようにうつる。
もちろん、現実でもどんな思想を持っていてもいい。そこは自由だ。
ただ歪んだ原理主義者のような歩火は、人の弱みに付け込んで、ヴィレッジを自分の目論見のために利用する。
しかも、ギャンブルの真剣勝負の場では、一人だけ勝ちを目指さない。
つまり歩火は、非ギャンブル派と、ギャンブル派のどちらも侮辱している。これが彼女の歪みだ。

鈴井涼太は、どちらかというとギャンブル反対派だが、夢子は妙に気に入っている。
ようは、自分の考えを持つ権利は誰にでもあるが、その権利を踏みにじるようなことは許されない。

ヴィレッジの報告を受けたときに、会長が言った「少し水が濁ってきたようね」という台詞の本質もこういうところだったんじゃなかろうか。

生徒会の権力は圧倒的だが、ギャンブルの参加権はヴィレッジのメンバーにも平等に与えられたし、最終的に決勝戦でヴィレッジのメンバーは各々が1000万円の賭けに勝ったので、おそらく地位も好転したはずだ。

夢子が口にする「一票の重み」というキーワードも印象的である。
みな平等に与えられた権利をどう行使するかによって自分の人生を動かせる可能性がある。そのチャンスを生かさずに自ら手放すことこそ、愚かなのだ。(若者よ、選挙に行こう!笑)

弱いものを弱いものと決めつけない。特別扱いしない。情けもない。
甘い環境に閉じ込めてしまうと人は壁を乗り越えないし、成長できない。
もしかすると、神様って実際は会長のような存在なのかもしれない、と考えさせられた。

3.村雨天音が囚われていたもの

最強のギャンブルの実力の持ち主・村雨天音は、生徒会長に勝利し、姉の借金および人生計画表の破棄を勝ち取るのだが、
村雨月美のもとに駆け付けると、目の前でお姉さんは命を投げ捨ててしまう。

村雨天音にとって、大切な人を救うことができなかったという事実は、誰かを救うことへと執着させる。

ヴィレッジの建物は、お姉さんが命を落とした場所だが、
それに象徴されるように、村雨天音はお姉さんを救えなかった記憶に縛り付けられる。
ギャンブル最強の男はギャンブルを捨て、「君たちを救いたい」と言う。

しかし、そんなギャンブルの場に出てこざるを得なくなった村雨は、
勝てる状況にある夢子が、歩火が一人だけ負けようとしているのがずるいという理由で、負けを目指し始めたことに衝撃を受ける。

村雨はギャンブルに勝つことこそ最もえらいと思っていたはずだし、ギャンブルに勝ちさえすれば、姉を救えると信じていた。

そして夢子にこう諭される。

お姉さんは本当に救ってほしかったんでしょうか。
誰も救ってほしいなんて思っていない。
それはきっとヴィレッジのみなさんも。

自分の人生は自分だけのもの。
他人に左右される人生なんてつまらない。
自分の運と運命を信ずればこそ
人生は賭けるに値する。

カードの並び順を記憶することで相手の出す目を知るという驚異の能力を駆使し、自分は一番最後に勝てるカードを選ぶという手法をとってきた村雨だが、
この夢子の言葉を聞いたあとのターンは、誰よりも早く自分の出すカードを決める。

この瞬間、村雨は怪物ではなくなった。自分の運だけに賭けた。

お姉さんは、死ぬ前に「何てことしてくれたの」「何もわかってない」と言っていた。
日本語には、「貸し/借りを作る」という表現があるが、お金以上に借りたくないものがある。返せないものがある。

村雨月美にはギャンブラーとしてのプライド、あるいは姉としてのプライドがあったはずで、弟によって助けられては面目が立たない。
一生、その返せない借りを背負って生きていかないといけない。
そのことが村雨天音にはわからなかったのだ。

夢子の姿勢から、強さを武器に人の人生を牛耳ることの短絡さを悟らされた。

夢子によって人を救うことへの執着から解放された村雨天音は、
人生計画表を使って食堂にスイーツを導入してもらうことで、夢子への借りをきっちり返した。

◇◇◇◇◇◇

他にも見どころ満載な映画だが、今回は特に印象的だった3点をピックアップした。

自分にとっても、賭ケグルイは、自分の人生観を揺るがされるような衝撃があった。

自分の運と運命をどれだけ信じられるか。
賭けに出る無鉄砲さや度胸の問題の前に、それまでに自分が何を積み上げてきたか、自分の実力は自分だけが知るところである。

自分は常に人生というギャンブルに挑んでいることを忘れていたかもしれない。

(最後に、この映画を見るきっかけとなった推しの主題歌を貼っておきます)

AY

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?