『夕立ち』はやがて止む(前編)


今回はAfter the Rainの『夕立ち』について、過去曲を踏まえながら考察。
なぜ過去曲かというと、この曲の作詞のアプローチとして、一番言いたい骨子に、過去の曲で歌ってきた内容が肉付けされ、AtRの曲として昇華されていっているような印象を受けるので。そこに、そらるさんの言いたいことも取り込まれたことで、言葉癖が緩和され、新しく聞こえるそんな曲になっている気がする。
結果として長文になってしまったが、過去曲もあわせて聞くことできっと『夕立ち』の理解をより深めてくれるとおもう。

「夕立ち」
After the Rain

1.きれいな空が見えない

遠く煤けた鉛空
こんな汚れていたっけな
濁り 冷めた通り雨
それとも 染みる目のせいかな

◇ 順番を入れ替えると、こう整理できる。
風景描写:「遠く煤けた鉛空」「濁り冷めた通り雨」
人物の心:「こんな汚れていたっけな」「それとも染みる目のせいかな」
風景描写のあいだに気持ちを織り交ぜることで、遠景ではなく、人物(ボク)から見た視界を共有するように引き込まれる。この曲はこうしたボクのモノローグに始まる。
きっとボクにとって空というのは澄んでいて青いはずだったのだおかしいなという違和感に気付く。

◇ちなみに「染みる目」になっているのは、涙で泣きはらして目が沁みるということではなく、何かに染まって目が見えづらくなってしまったという解釈したほうが良いのだろうか…?
沁みる:液体が入って痛む。心にしみじみと感じる
染みる:色やしみがつく。悪い影響を受ける(参照

【参考①】盲目少女とグリザイユ(2016)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる、まふまふ)
『夕立ち』の空模様は、『盲目少女とグリザイユ』の「灰の空 錆の雨」に近い。この曲に出てくる盲目のクローディアは、曇天(暗い現実世界)にキレイな世界を見ている。
『夕立ち』はその逆の状態を描いているようにも思える。「ボク」ははじめはそんなことなかったのに今は世界が曇って見えるようになってしまったのかもしれない

【参考②】解読不能(2017)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる)
この曲でも、青く見えるはずの空が青く見えないことが歌われている。
「ボクも透明な空が 青く見えるはずなのに、
不確かなココロも 君がくれた愛も 
取りこぼしてしまう ボクには 
エラーを為す存在」
ボクにとっては、“透明な空=エラーを為す存在”ということになる。エラーとは、正常に動作が遂行されないこと。透明である空は、晴れてると人間にとっては青く見えるが、「ボク」(この曲の場合はロボットを指す)には青く見えないため、空の解読作業はエラー状態になる。

【参考③】ハンディキャップ(2017)
(作詞作曲:まふまふ)
この曲は、ぬいぐるみに成り下がった自分から見た空は常に曇り空であり、自分は視界がふさがっていることにも、そこにある幸せにも気づけないと歌う。
「いつでも世界は曇り空 仮縫いの瞳じゃ
結わいた糸や幸せに 気づけるでしょうか」

2.大きくなったボク

どこで気づいただろうか
どこで違えただろうか
今も大きく見えるものは
もうこれくらいなんだよ

◇それぞれ前の部分の歌詞と以下のように対応すると考えられる。
「こんなに汚れていたっけな」(景色が変わった)
 →「どこで(変化に)気づいただろうか」
「それとも染みる目のせいかな」(変わったのは自分の方かもしれない)
 →「どこで(自分が)違えただろうか」

◇「どこで」というのは、時間軸上における過去のどの地点で、ということだろう。というのも、「今も」と時間の流れを踏まえた歌詞が続くから。

◇「今も大きく見えるもの」とは、背が高くなった(=大人になった)今の自分にとっても、手に届かないもの。背の小さい子供の頃は、いろんなものが大きく見えた。物理的に手が届かないということだけではなく、手に入らないいろんな願望があった。それは未来にたくさんの希望や期待をもっている状態ともいえる。では成長した自分には何が大きく見える?

【参考①】天宿り(2016)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる)
子どものような幼い状態を背の小ささで表現。
「強がってばかりで 意地張ってばかりで
背は小さいままで 夕暮れ空 暮れていく」

【参考②】水彩銀河のクロニクル(2017)
(作詞作曲・歌:まふまふ)
「背伸びして届いた 片道の扉に
何回も ボクは何度も 置き忘れていく」
背伸びをするように一生懸命成長して、大人になっていく一方で子どもの頃の何かを忘れていく。「片道」とは後戻りできない時間の流れを意味する。

◇「もうこれくらいなんだよ」の「これ」とは、自分の目の前にうつる「遠く煤けた鉛空」「濁り冷めた通り雨」の光景。
背が伸びた自分にとっても、大きい存在である空。しかしその空模様は暗い。
大人になる過程で、あらゆるものを手に入れたけど、いつの間にか暗い世界しか見えなくなってしまったことを悟る。

【参考】天罰(2015)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる)
「今は憧れていた未来もない」

3.着飾っても傷つくだけ

言葉を失って
着ぐるみで着飾って
目を塞いだところで
瞼を傷つけるだけ

◇前後して、先に「着ぐるみで着飾って」の部分。
まふまふさんは、着ぐるみという語をよく用いる。

【参考①】第2次カラクリ国家計画(2014)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる、まふまふ)
「『正義』だってたじろぐ
手を伸ばしちゃってお祭り騒ぎ
何がいいやら 着ぐるみを着たアイドル脳」

【参考②】天罰(2015)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる)
「同じような顔した着ぐるみを着て
美味しいところだけを吸った
そんな僕らの 正義ぶった顔して
それのどこに これのどこに
愛がどこに どこにあるんだい」

【参考③】プルート(2016)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる)
「目に見えない着ぐるみを着りゃ
正味擦り切れたレコードのような歌でご満悦に
そんな存在が余すことなく
バクに変わっていく」

◇それを踏まえて、「言葉を失って」の部分。
アイドルのように着ぐるみで着飾っていては、自分の言いたいことも言えないという意味である。

【参考】がらくたの作りかた(2016)
(作詞・歌:そらる、まふまふ 作曲:まふまふ)
「言いなりばかりの音楽で 人形のように踊ったら
君の言えることなんて五文字にも満たない 
そうだろう」

◇「目を塞いだところで 瞼を傷つけるだけ」
現実を見ないように目を閉じたときに、瞼が傷つく、つまり、瞼の裏側に痛々しい光景が思い浮かぶということだろうか。思い出したくないことを思い出してしまうのかもしれない。

【参考】多面草(2016)
(作詞作曲・歌:そらる)
「言い訳ばかりがうまくなっていく
現実 交錯 夢追い人
逃げ込んだ場所に同じ落書き
瞼の裏側に君が見えた

4.なりたくない大人になってしまったの?

大人になってしまったの
子供のままでいられないの
好きなものも愛せないで
嫌われ者になっていくの

◇「嫌われ者」の「大人」
大人は「汚い」「嫌われている」といったネガティブなイメージがあり、子供のままでいたいという思いは、いくつかの曲にも表れている。

【参考①】セカイシックに少年少女(2015)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる、まふまふ)
「ねえ 誰も望んじゃいなくたって
ボクら大人になるんだよ」

【参考②】わすれもの(2016)
(作詞作曲・歌:まふまふ)
「大嫌いな 大嫌いな
杓子定規な先生が
廊下の隅で泣いていたんだ
大人も涙を流すんだ 大人になって知れた
僕らが嫌いで憎んでいた ありゃいったいなんだ」

【参考③】天罰(2015)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる)
「帰ろう?どこか遠くにさ
何も知らないふりして
君とただ夢を見たあの日に帰ろう
汚い大人になるなら ずっと子供のままで
ここで踊っていたいな」

◇「好きなものも愛せないで」
この言葉は次の曲のアイロニーに思える。

【参考】わすれられんぼ(2017)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる、まふまふ)
「好きなこと 好きなだけ愛していいんだよ」
「あれ おかしいな 泣いてしまうな
あの頃の好きすら舌打ちして
そんなだめかな ボクはだめかな」
好きなものを愛していいんだと肯定する意識があるくせに、自分の方が好きなものを愛せなくなっているという皮肉な現実。

5.自分が何者かを見失う

自分勝手に死ねないの
言いたいことも言えないなら
ボクは何なの 誰なの
ねえ

◇「自分勝手に死ねないの」というのは、その前の歌詞の流れからすると、誰かがそれを許さないというより、成長していくうちに身動きがとれなくなり、自分で自分の意思を尊重できなくなっている状態なのではないかと思われる。

【参考①】ツキサセ(2014)
(作詞・歌:そらる 作曲:そらる、まふまふ)
「ねえどうして私だけが泣いちゃいけないの
なんで叫ぶ声を誰も聞いちゃくれないの
妄想だって笑われるなら もういっそこのまま
振りかざすナイフ この胸突き刺した」
「ねえどうして走り続けなくちゃいけないの
なんで止まることを許してくれないの
もがく姿もピエロに見える私は笑い
もう耐えられない『さよなら。』」

◇「言いたいことも言えないなら 
ボクは何なの 誰なの ねえ」
自分で自分を押し殺した結果、自分を見失う。

【参考①】天罰(2015)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる)
「崩れた足場を確かめて
自分だけ生き残れるように
自分の名前すら隠してどこへ行こう?
いっそやめさせてよ どうせこんな世界なら
姿見につぶやく どちら様?

【参考③】プルート(2016)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる)
自意識の影響が大き過ぎた結果、自分が自分ではなくなってしまう。
「人の目を気にするほど
肥大した意識が また今日を生み出した
何者も蔑んだような目で指さした 嗤う姿見」

【参考②】解読不能(2017)
(作詞作曲:まふまふ 歌:そらる、まふまふ)
「名付けられすぎた 陰口やあだ名で
本当の名前すらも 名乗れなくなっていた
教えて 貴方は誰なの ねえ
沈黙の回答は 姿見の向こう」



以上のように、意図的にか、偶然似通ったのか、
『夕立ち』は過去曲に通じる要素が多い。
まふまふさんはそらるさんに対して特定のイメージがあり、またそらるさん自身も昔から同じような葛藤を引きずり続けてきているようにも見える。
「夕立ち」の一番は、今見えている景色、今の自分の状態を見つめ直している、そんなパートだ。


◇◇◇◇◇◇◇


※二番は、核心に切り込んでいくので、
純粋に音楽として『夕立ち』を楽しみたい人には読むことをおすすめしません。わたしが思う”真実”を知りたい人だけ、よろしければ続きを。


AY

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