やまぶ記 第十夜 〜モラルのチョッキ〜

こんばんは。

皆さんは善悪を信じていますか?
lenyaは信じていませんし、ある意味においてあまり価値判断の中でも重視していません。

これから書くことは全て勝手な解釈ではありますが、善悪というのは別にこの世界の理ではありません。

個々人が勝手に「良い」とか「悪い」とか選り好みして解釈しているだけです。

みんな考え方は似たり寄ったりですし、話をすれば影響を受けあいますからなんとなくその解釈が束なって強固な柱があるような感じがしてきているだけです。

かといって「そうか、善悪なんてないのか」と言って家を飛び出して乱暴狼藉を実践するのはやめた方がいいと思います。いちいちなぜか説明はしませんがどうなるかは大なり小なり想像がつくと思います。想像より不幸になるかもしれません。

モラルのチョッキ

キューバのフィデル・カストロという人物が語ったとされる言葉に「(防弾チョッキを着用しているかという質問に対して)私はモラルという頼もしいチョッキを着ている。」というものがあります。ある程度は意訳です。

カストロの言いたかったこととはおそらくあまり関係がありませんが、lenyaの善悪感はこの「モラルのチョッキ」という言葉で説明するのが一番しっくりきます。

まず、善悪に従って生きるということは自分を守る助けになるということです。これは誰かからそれとなく言われることだと思いますし、説明不要でなんとなく道理としてしっくりくると思います。

次に、これが肝心なのですが、あくまでチョッキ(道具)であって自分自身ではないということです。比喩的な表現ですが、作り物の外骨格であって背骨ではありません。

これもまた比喩ですが、海にドボンと落ちた時には重いチョッキは脱いでしまえるわけです。法律と善悪は違いますが、日本の法律でも「緊急避難」という概念があり、緊急時には不法行為を行うこともある程度やむを得ないとされています。なんとなく言いたいことが伝わるでしょうか。

人間は善悪のしもべではありませんから、心中で善悪に沿わない感情や考えが湧いてしまった時点で自己否定をしたり、善悪と一緒に心中する必要はありません。社会の中で生きていくための道具として便利に使えばいいのです。

まあこんな感じで価値観を少し書いてみました。今週はこんな感じです。また来週。

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