やまぶ記 第四夜 〜友情の極意〜

キミの 友だち は・・・
どんな・・・ひと?
そのひとは・・・
キミのことを・・・
友だちと 思ってるのかな・・・

「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」より

こんばんは

皆さんは「友達」という言葉にどんな印象を持っているでしょうか?

楽しい、落ち着く、同じ趣味、煩わしい、同調圧力、いろいろあるでしょう。
人によって違うというよりも同じ人の中でも色々な現れ方をすると思います。

また、顔見知りと言うこともできるかもしれませんがSNSが発達した現代では顔を知らない友情も珍しくないでしょう。(昔の時代にも文通などがあったようですが)

今回は、Twitterのフォロワーに友情に関する考え方を褒められてその気になったので個人的な考えを少し書いて見たいと思います。

良い友情とはしがらみからの解放である

lenya yamabukiは良い友情は日々のしがらみを忘れさせてくれるものと考えています。
あえて想像力を働かせて反論を考えてみると

「自分勝手なお前が他人様に気を遣わせて勝手に羽を伸ばした気分になっているだけだ」
「友情だってしがらみの一種だ、人間の最上の苦しみは人間関係だ」

といったことが思い浮かびました。

確かにそれは間違ってないと思います。
しばしばそういった関係に陥るのです。

しがらみからの解放という関係は理想であって、白か黒か、どちらが定義として正しいかと言うものではありません。
せっかく縁があって現に存在している友情があるとするならば、せっかくなら薄いグレーにしていきたい、保ちたいということなのです。

そして上記のような関係に陥らないためには個々が相手に依存をせず、芯のある考えを持っていることが大切なのではないかと思います。

友達は役に立たない方が良い

これはどうせ役に立たないのだから期待するなと言う意味ではありません。

このようなことを言っているのは、損得勘定を持ち込んだ時点で自らの意識が変容していまい、真の友情というものは成立しなくなってしまうと考えるからです。

損得勘定や共通の利害関係から自由になれる存在を最良と考えているからこそ、「役に立たない」なのです。

とは言っても実際にはメリットを享受することは多々あります。
メリットを受け取っておきながら「役に立たない方が良い」なんて都合の良い話ですが、とにかく、メリットは副次的なものであってそこをひっくり返してはいけないのだと言うことを繰り返し言っておきたいと思います。

硬い寝床

ところで、ニーチェが少し近しいことを言っていたことを思いました。(参照元は記憶なので気になる人は適当に調べてください。でたらめだったらごめんなさい。)
虎の威を借る狐のようですがlenya yamabukiと名前も少し似ていることですし、お許しください。

彼は「硬い寝床」「戦陣用の寝床」という友情を提唱していました。過度の献身を行わず、あくまで独立した個々がほんのひととき休めるような関係という意味だと受け取っています。

lenya yamabukiは彼のように前時代的な道徳を打破して超人を目指すような気概はありませんが、もし上記の解釈で良いのであれば近しい考えであると言えるでしょう。

まとめ

改めて書いて見て思いましたが、もしかしたらlenya yamabukiがさもしく社会性のない人間なのであって、お互いに献身しあう高等な友情を理解できていないのかもしれません。
しかし、それでもやはり、そう言った関係を想像してみるとなんだか窮屈に思えるのです。

皆さんはどう思いますか?
最後まで読んでいただきありがとうございました。

おまけ

なんとなく架空の代紋をデザインしてみたら気に入ってしまったのでなんとなくここでも自慢します。
使う機会がないので供養です。

山吹組代紋(フィクションです!)

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