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【日記】…地と知を往還する。

 ある場所(地)とある知識(知)とを行ったり来たりしている時間に充実を感じる。SFC時代から始まったこの往還のペースは、就職してからも暫くは続いていた気がする。それが、4年ほど前からぷつりと途絶えていた。それどころか、地に足つかぬまま無為の時間を過ごした。

長岡と藤沢はまさに地と知だった。

 「書くこと」はこの往還の「往」と「還」を繋ぐものだった。「書くこと」を失って、その間の両岸は霞み始めた。往還を失って、その間にあった「書くこと」は前よりもひどく陳腐になった。
「書いたこと」が少しだけ先の未来にその書き手を連れ去ることがある。そこに現れる少し未来のヴィジョンが、現実を犯して、現実が否応ないかたちで虚構化する。往還の描く円が、二度と重なることのない螺旋の構造の先でたどり着くのはそのような場所だ。

西方の海の彼方に霞む島に想いを馳せる。いつか、そこで産むことになる我が子の姿を思う。そんなひとりの男の姿が見えてくる。

 ようやく回り始めたものがある。その気配は、毛布のなかのとびきりぬくい足先から確かな感触を伝えている。ゆっくりと回り始めた往還の気配が心地の良い眠気を誘っている。欠伸をしながら起き上がると、地・知滑りを起こさないよう慎重に、かつ大胆に生き始める。5年、次の5年の周期を生き始める。この5年に必要なものはなんだろう? 回転の非情が構わず振るい落としてしまうもの、僕は果たしてそれを見捨てられるだろうか? 大切な友人に言われた「孤独になれ」という言葉、その意味を改めて噛み締めている。あゝ、今夜は歯軋りがひどいだろう。隣に誰もいないのが唯一の救いかもしれない。うとうととして重たい目を擦りながら、そんなことを考えている。

終わり。


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