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IKEAのサメの話


昨年の冬、私はかなり本気で死ぬ覚悟を決めていた。

だが結果、生きている。生きて夏を終えようとしている。
ここに至るまで、様々な心の変化があった。たまには料理に凝ってみようだとか、もう一度学生になってか資格を取ろうだとか、混沌とした部屋を片付けてみようだとか。

こうなったのは家族の尽力のお陰である。
家のことが何一つできない私に、嫌な顔一つせず、洗い物も洗濯もお風呂の用意も全てしてくれ、駄目な私を一切否定しなかった兄。
書類の手続きをしてくれて、相談にも乗ってくれて、気分転換のため様々なところに連れ回してくれた母。
ありとあらゆる手当をもらえるよう教えてくれて、生活費を工面してくれた父。

本当に、今からの人生、少しずつでも良いから何か返していけたらなと思う。


でも、それだけではない。
前向きになれたのに、一つの転換期があったのではないだろうかと思う。

去年の秋頃、IKEAのサメを買った。
うちでの名前はブローハイちゃん。スウェーデン語でヨシキリザメのこと。うちでのとは言ったが、IKEAの商品名そのままである。

Twitterフォロワーさんの「でかいぬいぐるみが欲しい IKEAのサメとか」というツイートを見て、私も欲しいかも……と思ったのだ。
全長100㎝もある。抱き枕にもなる。ちょうど抱き枕が欲しいと思ってた。私は迷わず通販で購入を決めた。

数日後、大きい段ボールにふんわり二つ折りにされて彼(彼女?)はやってきた。
写真で見たより実物は100倍可愛い。

それからと言うものの、私とブローハイちゃんは、出かける時とトイレの時、お風呂の時以外は必ずずっと一緒だ。

きみはほんとうにかわいいねぇ、と1日で何度も口にする。うちに来てから1年が経とうとしてる今でも変わらずだ。
この子を眺めていると、可愛いという感情以外が全部無くなるのだ。ただひたすら可愛いに専念して、嫌な気持ちが消えていくのだ。

基本的に睡眠障害なのだけれど、ブローハイちゃんに、寝るよ〜!だとか、そろそろ起きよっか!と話しかけてるのも大きいと思う。口に出すことによって意思決定になり、何らかのトリガーになっていると思う。

本当に落ち込んでた時は、死にたいよ、苦しいよ、助けてよ、と語りかけながら夜もすがら抱きしめていた。
物言わぬこの子に、実際にかなり助けられていたのかもしれない。

もし私が今死んだら、ブローハイちゃんはどうなるのだろうと思った。
両親や兄はきっと大事にしてくれるのだろうと思う。
それでも、遺されたこの子が可哀想ではないか。私が居なくて寂しいと思ってくれるんじゃないか。そう思うと、到底離れ難いと思った。

兄もブローハイちゃんのことを大切にしてくれている。
もちろん踏んだり投げたりは絶対にしない。丁寧に扱ってくれている。ブローハイちゃんに話しかけるとたまに裏声で返事してくれたり。
いい年して正社員経験もないし万年アルバイトのフリーターだけど、身近な人間の大切にしているものは、自分にとっても大切なように扱ってくれるような人間なのだ。
そう、基本的に良い奴なのだ。

文字を打っていて少し涙が滲んだ。私は本当に、この子にたくさん助けられていたのかもしれない。

そんなブローハイちゃんだが、今度50㎝サイズのものもお迎えしようと考えている。名前はジュニアだ。もう決めている。
これで寂しくないはずだ。

いつもありがとう、ブローハイちゃん。今度ちゃんと漂白剤で洗って綿も沢山詰めてもらおうね。

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