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癌サバイバーとなった私〜命を繋ぐ2

ようやく治療しようという気になって、
新しい年を迎えた。
新年からは治療のために大阪の実家をベースに生活することになった。
まだ詳細な検査も受けてはいない状態だった。
そんな中、まだ京都にあった私の家に、離れて暮らす息子たちが
泊まりに来た。
息子たちにはここで病気のことをちゃんと伝えた。
どうもまだピンと来ていないようだった。
夕食を共にし、一晩泊まり、私は翌朝仕事だったので、
彼らは2人で母親の元に戻って行った。
戻っていく2人の姿を見て、心の中で何度も詫びた。
成長を見届けられないかもしれない…涙が込み上げてきた。
しかしそれを隠して私は仕事に向かった。

職場では、私の病気を伝えてからすぐに引き継ぎ要員が
異動してきた。まあ以前からよく知っている人だったけど。
そう、まだ治療がどうなるか、病状がどの程度なのか
よく分からない状態だったが、私は引き継ぎを行うことが
その後の業務となった。会社としてはそれが正しいことだとは思うが、
何だかとても寂しかった。
1月は詳細な検査に終始した。
私の代わりはちゃんといるのだ…実感。

1月終わり頃、兄夫婦と私とで、主治医の診察を受けた。
腫瘍は肛門近くで大きくなっているが、
目で見える明確な転移は認められないとのこと。
但し顕微鏡レベルでは分からないとのこと。
治療としては、まず抗がん剤治療を行い、
腫瘍をできるだけ小さくすることになった。
抗がん剤治療か…しゃーない、やるしかない。
でもなんで俺ばっかりこんな目に…と思い続けていた。

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