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じゅうにがつ、叱ってくれる人からの連絡。

ありがたいことにコミュニティナースベーシック講座に関する記事が全道版の新聞に掲載された。
思いもよらず、いろんな方から連絡がきたりと反響があった。
そんな中、中学の担任で生徒会担当だった先生から、「新聞をみた、頑張っているね、無理していないか」と連絡があった。
派遣として復職したこと、コミュニティナースを続けていること、この夏体調を崩していたが建て直せたことなど、もろもろ近況報告。
「ナースが体を壊しては本末転倒、笑い事じゃない。といつも心配になる。君の無茶ぶりには。」と返事が。もっと書かれていて、しっかり叱られていた。

なんだか、この感じ。久しぶりだな。
中学生の頃、勉強も部活も生徒会も楽しくてしょうがなかった。
勉強は志望校に合格するために、部活はとにかくバスケが好きで上手になるために、生徒会は意気地なしな自分の殻を破るために、全てに目的をもって取り組んでいたなあ。
当時の私には勉強も生徒会の指導も、なかなか厳しかった。授業の時間は予習万全で望んでも太刀打ちできない。志望校を伝えると、内申点が悪くないのだからと別の学校の推薦を勧められる。生徒会はあいさつ文や計画すべてに赤ペン先生、用紙が真っ赤になって返される。
調整がなってない、考えなさいと言われる。
先生に対して、言っていることは合っているけど、求めすぎ。嫌だ、辛い…と思っていた。勉強も生徒会もやめてしまいたいと思ったこともあったけれど、そこは私の頑固な性格を見越してうまく手のひらで転がされていたように思う。(笑)
猛勉強の甲斐だったのか、反発心が力になったのか、受からないと言われ続けていた志望校に合格できた。部活は全力で楽しくてしょうがないかけがえのない時間になった。生徒会は2年間走りきることができ、人を動かすための考え方や人前で話せる度胸が少しばかり身についた。
この頃の、大切なことを最後まで頑張り抜けた経験が、今の自分にも勇気を与え続けている。(バーンアウトするようになったのはこの頃から。頑張りすぎな弊害ももれなくついてきてしまったかもしれない。笑)
反抗期で先生とも口をききたくない時期もあったけど、愛ある指導・教育をしてもらっていたんだなと感じる。
先生の在籍期間が長く兄弟とも関わりがたくさんあったこと、職業とキャリアの授業に呼んで頂いたこと、先生が毎年うちの父に技術の教材を依頼していたこともあり、先生との縁は今でも続いている。

先生には、ギリギリラインを走る姿は親子だね
と言われた。(要するに父と似てるということ)
いやいや、誰の教え子だと思ってるんですか。
背中を見てきたのは父の姿だけじゃないです。
先生は気づいていないかもしれませんが、密かに先生の無茶もたくさん見てきました。そして先生は間違いなく、いまの私の無茶な基盤を作った人のうちの1人です。とは言えなかった。(笑)

この歳になり、なかなか叱られることはなくなったから、むずむずするというか、新鮮といえば新鮮というか、なんとも言えない気持ち。きちんと叱ってくれつつ、ずっと応援してくれている先生。
先生から出されたいままでの宿題、模範解答は出せそうにないけれど、これからも挑み続けたい。
次会うときは、素直に感謝を伝えられるといいな。

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