私はどこで価値提供しているのか/どこに向かうのか

まだまだ職業機能の定義と仕事のゴールについて考えている。

前回の記事でファシリテーターに行き着いた直後「私、自分の職業機能を果たしているかも」と感じる出来事があった。

空中分解しがちな種類の会議でファシリテーションを依頼されたこと。
ここを外すとメンバーの集中モードを作るのが難しくなりそうだったので、事前にディスカッションが活性化するように準備した。普段よりもおもしろい意見がたくさん出て、その後のアクションも見えて、当初目指していた目的は果たせたと思う。

会議の後、私はどこの組織でも対立/食い違い/まとまらないシーンに召喚されるなあと思った。別のポジションで入ってもいつもここに収まる。

ファシリテーターに求められるのが発言の活性化、意見の集約、整理、認識をそろえる、ゴールに導くことだとすると、やっぱりここで報酬や給与を受け取っていることが多い。

駆け込み寺と近い領域ではあるけど、ファシリテーターとしての価値の方が高そうだ。(駆け込み寺の時は人を甘やかすからです)「現状の自分がマーケットに対して価値提供できる機能」として適切な感覚がある。これが私の今の職業機能か。

「所属組織内の対立や食い違いがある場所で、関係者が納得できる落とし所をつくるファシリテーター」を職業機能とすると、仕事のゴールはその抽象度を1-2段階上げた場所に設定する。


ゴール設定をするときにうすらぼんやり見えているのはアーティスト。でもファシリテーターの抽象度をあげてアーティストになるのか??とまた迷子になった。

メンターに相談したら「ファシリテーターもアーティストだと考えられるような気もするんだけどどう?」と問いが戻ってきた。ああ、そこ直接結びつけようと思ってなかったな。

いくつかの問答を経て、ファシリテートはアーティストとしての表現手段の1つなのかも、というところまで辿り着いた。まだ私の中でアーティストは絵とダンスみたいな固定観念があって、自分が表現したいものにちゃんと目を向けていなかったみたい。


メンターからのこの日最後の大きな問いは「ゆくちゃんは何を表現するの?」

なんとなく表現したいものは「秩序」だ、と回答したら「もっと動的、動画的なものな印象があるんだけどどう?」とメンター。

たしかにそう。秩序は下拵えで、その後コミュニケーションが活性化している/遊べている状態ができた時の方がワクワクする。やみくもにボールを投げるのではなく、一定の秩序がある前提で、サッカーらしきもの、野球らしきものが結果的にできたね、みたいな感じが楽しい。

そっか、私はルール(秩序)を作ること自体には興味がなくて、目に見えないルールを読み取って遊びの形を作るのがおもしろい。
表現したい(つくりたい)のは遊びで、遊ぶように生きたいし、そういう人を増やして一緒に遊びたいんだ。


ではどうしたらみんなと遊べるんだろう。

遊びに必要なのは想像力だと思う。理由はわからない。
ググったところ、想像力とは「実際に見たり聞いたりしたことがないことや、経験したことがないことを頭の中で思い浮かべる能力

あれ、これって間(あわい)じゃん。想像力って間だったのか。本棚間でやってること、ここに直結するな。

じゃあ遊びってなんだろう。

ある論文によると遊びとは
・強制されない「自由」な活動
・日常生活とは時間的・空間的に区別された「分離した」活動
・あらかじめ結果が決められていない「不確定」な活動
・財貨や富をつくりださない「非生産的」な活動
・現実の社会生活のルールとは異なった、その遊び特有の「ルール」を持った活動
だそうだ。

「そこにある(目に見えない)ルールを読み取って最適な遊びの形を作る」だって。私が表現したいのはやっぱり遊びだ。


このあと本棚間と結びつけて暫定の仕事のゴールを作った。私はこれから人々の想像力を掻き立てる商品と対話が生まれる場を提供して、遊ぶように生きる人を増やす。手法は問わず、プロセスから存分に遊ぶ。おー、言葉の精査は必要そうだけど、なんかいいかもいいかも。

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