「がんばる=苦しい」という認知エラー

認知エラーと思われるものに関わるエピソードを紐付けるシリーズ


友達から「本完成おめでとう!」のコメントに秒で「苦しかった!!」と返信していることに違和感を覚えた。どこかで「苦しさを表現すれば認めてもらえる」ことを学習した可能性がある。どこだ。

おそらく紐付くのは新卒のころの働き方。
「徹夜で売り場替えは当然」「できないのなら誰より動いて背中を見せる」「連休は取れない」という無言のメッセージ。
その基準に則れば上司に認められたし、成果が出なくても良しとされる傾向があった。
学生時代すぐに役立たないことばかり学んできたと思っていたので、どうにか「いわゆる社会」に馴染もうとした結果こういう仕上がりになった可能性が高い。

あの文化の中で自分の中に苦しさを美(=一生懸命がんばっている)とする価値観が育まれていたのかもしれない。
正直今の会社に入った時は「環境がイージーすぎないか?」と思ったし、苦しいことが少ないのに不安を感じた。(苦しくなくて不安というのはなかなかホラーだ)
キャパが広がったという意味では若い頃にぴったりの環境だったと思うけど、それはまた別の話。

・苦しそうに見えたら許される
・苦しそうに見えたら認められる
・苦しそうに見えたらそれ以上攻撃されない
という自分を守るための盾だったのかもしれない。私は「自分は弱い」状態に味を占めていたのか。

この作られた美意識は本来の自分の気質とのねじれを感じる。身体が悲鳴を上げるまで働いたこともあったが、必要でないときは積極的にサボっていたし、シフトの穴をついて連休も取っていたから。今思うと体調が悪いと自分に暗示をかけていたところもあったと思う。頭と心が一致していない。

トラブル→苦しい→乗り越えるのサイクルを経ないと何かを手にしたと言えない、という基準があるように感じる。
「苦しい」の部分が「考える」とか「工夫する」とかでもいいんじゃないか??

なんだか「楽したい」「サボりたい」というのはそこそこ長所のような気がしてきた。
外注には全く抵抗がないし、手が空くほど好きなことできるからうれしい。手が空いたときにやっていたいことがwanttoにつながるのかも。


周りの人に自分の強みを聞いてみたら
・調整能力
・バランス感覚の良さ
が共通していた。
自分へ貼ったレッテルによって後天的にスキルが身に付くということもあるんだろうか。
この能力を使うときはドーパミンが出るというより「安心したいから体が動く」類のものだと思う。
これはただのcanなんじゃないかしら。

最近調整業務を巻き取りますね〜と手をあげた時はどちらかというと「しゃーなしやるか、他にやれる人いないし」という感じだった。やっぱりcanで動いている気がする。ハードスキルじゃないcanもあるのか。気づかなかった。

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