堰き止めていたもの

メンターとのはじめてのセッション。
最近noteで繰り返し書いていたことが、一気に映像化された1on1だった。

たくさんの問いを投げかけられて、うまく言葉にならないもの(答えが用意できない問いは自分にとって大きなチャンスだ)がたくさんあった。
頭をフル回転させて、どうにか近い言葉を捻り出して、これで本当に伝わるのか、またいつもみたいに「よくわからない」と言われるんじゃないかと序盤はすごく不安だった。
メンターは静かに考え込む私のことを見守ってくれて、徐々に遠慮せずに発言できるようになった。

今回たどり着いた私のwant toは表現することだった。(これからもっと具体的になったり、変化したりはするかもしれない)
私にとっての表現はやりたいことを宣言し、周りにリクエストし、何かを完成させ、一回り大きい反応がある一連のプロセス。リクエストは相手に対する期待だ。

予防線を張ってそれなりの結果で満足するぐらいなら、本気でぶつかって悔しがりたい。「私はアーティストになれない」の伏線を回収する時がきたかっていうか回収されるタイプのものだったんか。17年越しですよ。

セッションが中盤〜終盤に差し掛かる頃、セルフイメージが書き換えられていくのを感じた。というのも、口をついて出てくる言葉が「ほっといてくれ」「自由にやらせろ」「泳がせてくれ」と、思ったよりも強いものだったから。
バランスを取りながら交通整理をしていく自分と、わがままに豪快に世界を作る自分。やっぱりバランサーとしての能力は後天的に身につけたcanであったと思う。過去の自己分析や適性診断で自分の二面性は感じていたところだったけど、こういうイメージは湧いてこなかったなあ。

加えて私は場所や人に執着して手放せなくなる傾向があるみたい。バレエスタジオもそう、大人になってからもいくつかそういう場所が思い当たる。「これを手放したらもう安心できる場所はないかもしれない」という恐怖からくるものだと思う。

だから自分の役割が終わっても不要と思われることが怖くて中途半端に繋がりを作ろうとするし、過保護傾向になる。hinodeを最後に見に行ったとき弔いの感覚を感じたのは、そろそろ握りしめている手を緩めてもいいと思い始めたからなのかもしれない。

メンターから執着についていくつか問いをもらって、普段と違う角度から考えてみたら、「なんでそんなに持っていたいんだっけ?」という気持ちになった。

まだ現在の臨場感もそこそこ強いから気をつけないと元に戻ってしまいそうになるけど、わがままで豪快な自分の割合が大きくなっていく。アイデンティティが変わるってこういう感覚なのかな。ただ全く新しい自分、というよりは懐かしい感じ。私はこいつのことを知っている。

この辺りで昨日ギチギチだったところにポカンと余白ができた感覚。ここにやりたいこといっぱい入れられるじゃん。あれもやりたい、これもやりたい、とすごく頭の中が軽くなった。

メンターいわく「ゆくちゃんはhave toを外せたらやりたいことがドバドバ出てくるタイプなんじゃないかと思ってた。だからその蓋を外すことを意識しました」。
確かにおっしゃる通りの状態になったんだけど、どこでそれを判断したんだろう。

いろんなものを堰き止めていた蓋が外れて、なんだかいろんなパーツが動かせそうだなあ。すごく良い時間だった。

コーチングでの体験って詳しく書けば書くほど胡散臭くなってしまうのが悩み(私の表現の問題だろう)。まあ感覚の記録もないよりあったほうがいいでしょうということで。

いただいたサポートは、うちの猫(2匹)のちゃおちゅーる献上資金としてありがたく使わせていただきます!