「サボりたい」の先にあるもの

1万字自分史を書いたり、認知エラーを観察したりし始めて、自分は度々「サボりたい」と思っていることに気がついた。
うーん、サボりたいというか、
・やることやったんだから解放してくれ
・いてもいなくても変わらないから自由にさせてくれ
という感じ。私はサボって何がしたいんだろう。

シフト制で働いていたころ、31日と1日を組み合わせたら連休に見えずに連休が取れることに気づいた。(2ヶ月分のシフトが横並びに張り出されることはなかったから)しょぼいけど誰もやってなかったから多分革命だ。
その時の店長は会社の中でも恐れられている人。マイクロマネジメントと責め立てられるような強い口調が苦しくて、どうしても店にいたくなくて一人で直島に旅行に行った。
罪悪感はあったけど、行く場所も泊まる場所も休むタイミングも、全部自分で決められるのが爽快だった。
味を占めて続けて連休を取っていたら最終的にはバレてしまったけど、これまで過ごした連休はもう私のものだったから、不思議と後悔はなかった。

この時と同じように、度々周りにバレないように力を抜いて、自分の世界にトリップすることがある。所属している場所の規範や、暗黙の了解、人間関係から息継ぎするためにサボっている。自分に還ってくる時間。
息ができない時は大体聴覚、嗅覚、味覚が鈍くなる。いつもこれが感じられる場所だったら私はサボることがなくなるんだろうか。

今、お金を生まない仕事(だと私は思っている)を2つ持っている。この2つは気圧が下がっていても、少々体調が悪くても、隙あらば動いてしまうし、打ち合わせも全く苦にならない。頭と心が捻れていない。短期的な利益はないけれど、工夫したり形を変えてみたり、延々と積み木で遊んでいるような時間ですごく落ち着く。あの時の直島のような存在。

本当は、24時間遊んでいたい。
監視のない世界で、良いと感じたものを、仲間と一緒に、「なんか知らんけど全力でやったらいい感じになったね」と言い合う、放課後みたいな時間を過ごしたい。
できることなら偉い人もお金持ちも(多分自分から遠い存在だと思っているんだろう)、みんな友達で、一緒に真面目に遊んでいたら世界が良くなっていた、みたいな、そんな世界線で生きていたい。

真面目に遊べる友達が増えたら、私の仕事は遊ぶことになるかな。
この5年界隈が偏っていたから今外側に目が向いているのかも。
立場も年齢も問わず、たくさん友達を作ったら、私はサボりたいと思わなくなるかな。


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