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花束にはなれない

 こんにちは。
ここ最近、自分のMBTIに関するnoteを読むことが多いです。MBTIなんてはじめてきいた、という方はぜひ調べてみてください。自分の所属地がわかるようで面白いですよ。

 私はINFJに属します。生きづらいとか、内向的とかがサジェストに並びます。関連するnoteを読む中で、自身のことをさまざまな方法で表現していました。じゃあ私は、と考えた時に浮かんだのが今回のタイトルです。

私は花束にはなれない。

あ、ちなみに、ブーケと読んでもらえると嬉しい。かっこいいので。

 お花屋さんで初めて花束を買った時、店員さんがひょいひょいと手元に運んでいくので驚きました。選ばれた花と残された花、そこにどんな違いがあったんだろう。分からないけど、私は確実に残される側だろうな。仲良く話してる人たちの輪にどうしても入っていけなかったり、複数人で組む際に自分を軽んじられてしまったり。あとは、今みたいに花束になれなかった花のことを考えては首を捻り、「果たしてこんなことを思う奴はいるのだろうか」と悩んだり。
 大多数が集まって作られる集団の「みんな」に、大概私の姿はありません。「私/俺たち」とか「全員」とか「普通」とか好きではありません。自分が含まれていない代名詞を一人称として使いたくない。

 花束みたいにひとつにされた存在を「みんな」と呼ぶのなら、私は一生花束の中に入れないような予感がしています。別に花束になる必要はない。だけど花束であることが必須科目のような顔をして、「私は選ばれなかった」とベソをかくオチまで見えています。

 きっと、こんなことを考えているから生きづらいということに繋がるんだろうなぁ。

 花ではあるから、一輪挿しで輝ける時がくるといいな。そんな2月の、自分を見つめたnoteでした。💐

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