さいわい

 こんにちは。
昨日くらいから、自分の脳の容量を「幸せとは」というタイトルのファイルで埋め尽くされています。我が家には中学生の時購入した『幸福論』なる本があるので読み返そうと思いますが、それよりも先に書きたい欲が高まったのでキーボードを叩いています。

 今回の内容は確定事項ではなく、“かもしれない”が語尾に付くので、悪しからず。

 幸せって、なんだっけ。私はきっとどこに出しても嘘じゃない、幸せな生活を送らせてもらったはずだ。大変だねと言われることがあったり、しんどいなと思う時期はあっても、心底不幸だと思うことはなかった。おそらく。本当はあの頃の自分は不幸だったのかもしれないが、それを上回るくらいの幸せで満たされた人生だった。
 唐突だが、私は今年で25歳になる。25という数字をどう捉えるかは個人の見解に委ねるが、お肌の曲がり角がくるように人生の曲がり角もやってきた気がする。当たり前だけど人それぞれの人生があって、それぞれの道がある。具体的な例は避けるが、そんな人生があるのか、そのような道があるのかと圧倒されることが積み重なった。
 
 パッとみてわかりやすい幸せって、目を惹きますよね。
 例えばSNS。幸せそうな写真、たった1枚の写真でその背景を想像してしまう。その1枚が彼/彼女の人生全てを指すわけではないとわかってはいるものの、「幸せの正解」を見つけた気分になる。しかもそのような時に限って、自分は満身創痍だったりする。ゆきに10ダメージ、と言ったところだ。
 私は、自分の良さを自分で認識するのが苦手だ。なぜ他人のいいところばかり羨んでしまうのだろうと考えた時に、この結論に至った。褒めてくれる人はたくさんいる、認めてくれる人だっている。なのに自分のことを良いと思えず、自分で自分を攻撃してしまう。そしてあろうことか、自分で自分のことを大事にするのが下手になっていく。

 ねぇ、幸せってなに?そういえばね、幸せって「さいわい」とも読むよね。不幸じゃないと胸を張って言えるけど、幸せだとは胸を張って言えない自分がいる。
 なぜ?好きなことをして生きているのに?お芝居をやれる自分でいるのに?ねえねえ、なんで?


……ごほん。こんなことを考えても仕方がないということはわかっている。ここに書くのが正解かもわからない。やめときなよって言う人も、いるだろう。
 だけど私は書きたかったから。このまとまわない気持ちを、書き連ねてみようと思ったから。「誰も読まないかもしれない」から始まったnoteが、誰かのところに届いているのを知っているから。書いてみたいと思ったんです。そして、問いを出してみたいと思ったんです。

 あなたにとって幸せとは、「さいわい」とはなんですか。

私はまだ見つけられません。しばらく、答えを探す旅に出ようと思っています。その旅の中で見つけたものがあったら、またここに残しておきたい。私が生きた証として、黒歴史になんかさせない。旅の途中であったら、声をかけてくださいね。

 それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?