世界共通の贈り物@Algernon
花を買う
毎朝8時、私はその道を通る。
ピンクの壁の小さな小部屋にたくさんの花が並んでいる。
薄暗いあかりのついた修理屋や、漢方や木ノ実を売ってる蛍光灯で照らされた店の並びにある花屋は、ひときわ素敵だった。
いつも私と同い年くらいの女性がお店にいて、その姿は異国で働く私のちょっとした励みになっていた。
初めて買ったのは赤いバラの花。
仕事の帰りに家に買って帰った。
歩道に窓が面していて、その窓から花を買うことができる。
支払いはもちろんQRコード。
私がいたのは中国の上海。
半年ぐらい暮らしていた。
中国でもお花屋さんは少ない方で、たまたま、通勤途中にあったのはラッキーなことだった。最近は、厳選した花だけを少ない数だけ仕入れている花屋も多いから、たくさんの花があふれていたお店の中は見るだけで楽しかった。
私は普段、自分のために花を買うことはあんまりない。
でも中国で暮らしている時は、頻繁に花屋に通っていた。
花を買う行為は、心やお金に余裕のある人が行うものだと何となく考えていた。けど、そのときの私はどちらも充分ではないし、異国の地での生活はワクワクもあったが、落ち着かないこともあった。
だからこそなんだと思う。
花を買うことは、心にひとときの休息を求めているからこその行動。
決して安くはないし、食べれるわけでもないし、すぐ枯れてしまう。
それは、ただ美しい存在。
しかし花は主役になることもなく、飾られた空間をパッと明るくする。
普段の生活で、効率の良い時間の使い方、無駄のないお金の使い方を追求しすぎてしまうと誰しも疲れてしまう。
乾いた心は、花に水をやると同時に、自然に潤っていく。
再認識
”部屋に花を飾る”
これは特別に幸せなことだと思う。
仕事場の机でもいい、飾るためには自分の居場所がいる。
何かを飾ろう。という動機は、裏を返せば何かを飾る場所がある、ということ。
おそらく、旅人は花を買わないだろう。
私たちは、1つの場所にある一定の期間とどまる。
そこで生活をして生きている。
つまり部屋に花を飾るということは、定住するということ対する祝福をしている。祝福を繰り返すことで、住まう環境はより素敵になる。それは生きる歓びを再確認させてくれる。
昨日と同じ場所で眠りにつくことができる。
それは忘れがちだけど、とても幸せなこと。
心が落ち着かない時ほど、花を飾ろう。
せわしなくすぎる日々を一瞬だけ止めてくれるかもしれない。。
私は、花と人の関係性を考察しながら、花をモチーフにしたアクセサリーを製作しています。
いただいたサポートは、花と民芸の表現の追求にあてさせていただきます。