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生きる上で大切な、簡単だけど、意外なもの。

今日も誰かの声で目が覚める。
私は幸せである。

私は、長野県の田舎で暮らしています。
霞んだ空と大きな山が一望できる場所で今もこの文章を書いています。
景色だけでも特別なのに、
もうひとつ変わった暮らしをしています。
それは10人での共同生活。
そう、シェアハウス。

こちらに移住してきたのは1年前なのですが、
当初はアパートで一人暮らしをしていました。
そこでの暮らしはのんびりとしていたものの、
田舎でもない都会でもない中途半端さを感じていました。

私の住むシェアハウスは、古い宿場の宿の1つを改装したもので、
民家というには大きく、旅館というには質素な建物です。

大きな母家と水道の通っていない離れに
15人前後が暮らしています。
敷地内には蔵があり、そこにも住人がいます。
宿泊もできるのでいろんな人が遊びくる風通しのいいシェアハウスです。

この暮らしについて書くことは、
カレーの隠し味のインスタントコーヒーの味を探り当てようとするようでした。あまりにも馴染みすぎていて、意識することが難しいのです。

シェアハウスに住むことは初めてだったものの、
これまでずっと住んでいたかのようで、
違和感を全く感じませんでした。

1日の生活は、
大体みんな7時ぐらいに起き出して
リビングキッチンに集まってくるので、
その声で目を覚まします。

「音が気にならないの」と聞かれることがありますが、
私はそこまで気にならない方で、寝ようと思えば
音がしても10時過ぎまで寝ているので、
あまり関係ないようです。

日中は私は在宅で仕事をして、
夜はだんだんとみんなが帰っってきて
人が集まっていればみんなでご飯を作ったり、
料理が得意な人がいるので、振る舞ってくれたりします。
何もない日はそれぞれが自分で作ってご飯を食べます。

家族と暮らしていた時とも、
一人暮らしの時とも、
全く違った生活です。

注意深く、振り返ってみると
ここでの生活は私に、生きる上で大切なことを教えてくれていると感じました。それらのことについて書いておきたいと思います。

圧倒的にシェアして良かったものは「時間」

ひとつの場所をシェアすることは、各々にとって効率の良さがあります。

人が住まないと家はすぐダメになるというように、家を保つことは簡単なことではありません。
一人暮らしの手狭な家でもきちんと掃除をするとそれなりに時間がかかりますよね。何人かで暮らすぶん、掃除をするところが広くはなるものの、手分けすことができるし、かつ、広々とした場所で過ごすことができることは、とても快適です。

そして効率以上に重要だと感じるのは、

「時間を共有する」

共同生活をしていると、
食事の時間やちょっとした休憩で誰かと話す時間があります。

意図して準備したわけではないちょっとした時間に、
なんでもない会話をする。

「ただいま」からはじまるちょっとした近況報告。
きょうの出来事や、悩み事。

それだけで、今日1日の出来事に思い詰めすぎないで眠りにつくことができます。
人間の欲求は誰かと時間を過ごすことである程度解消されるのかもしれません。

見える暮らし

裏庭でちょっとしたガーデニングをしています。
マンションのベランダで育てるのと違って、
どんどん成長する植物を見ていると豊かさを感じます。

人差し指程度の大きさだった赤シソが今では、
膝の丈まで伸び、花を咲かせています。
赤シソは生命力が強く、至る所で繁殖していました。
青しそと違い調理しないと美味しくないので、
なかなか使いきれないほどです。

他にもいくつかのハーブを植えていて、
彼らも伸び伸びと成長しています。

日々そんな光景が見られる暮らしは、
人間社会以外に思いを馳せることができます。
また、季節の変化を身近に感じることで、
1日1日を大切にしたいと思うようになりました。

また長野県の厳しい冬で、植物の成長が一旦リセットされるので、
来年の春は何を植えようかなと考えています。

畑仕事は意外と難しく、特にタイミングを読むことが難しいです。
早すぎても、遅すぎても育たない。
この点においてはまだまだ学習が必要だなと思いました。

田舎でのシェアハウス暮らし。
特殊なはずなのに、あまりにも自然で、
特筆すべきとことが見つかりませんでした。
けれど書いてみようと試みると、
日常で感じていることを改めて振り返るきっかけになりました。

誰もが馴染める暮らしではないものの、
シェアする暮らしは意外といいものです。

いただいたサポートは、花と民芸の表現の追求にあてさせていただきます。