リモートワーク時代の「科学的管理法」
オフィスへの出社を強制するか、リモートワークを継続するか。いやハイブリッドが一番だ、など企業の働く場所については今なお議論が続いている。
働く場所を決める要素としては生産性の観点や帰属意識の醸成など様々なものがあるが、特に生産性の高低が話題に上がることが多い。
ワーカーの生産性を世界で初めて科学したのは、アメリカのフレデリック・テイラーのではないかと思うが、最近のオフィストレンドであるフリーアドレス(自席を固定しないオフィスレイアウトのこと)との対比で、マネジャーとそのチームが毎日固定的に同じ島で同じ勤務時間に顔を突き合わせて仕事をする旧来のオフィススタイルの源流のように、テイラーの「科学的管理法」が語られることがある。
「科学的管理法」はテイラーが100年くらい前に提唱した工場労働者の生産性向上を目的にした改善方法として有名だが、実はまだ読んだことがなかったので、2009年に出版されたダイヤモンド社の新訳版を今更ながら改めて読んだ。
筆者はこの本を少し誤解していたかもしれない。
「科学的管理法」は工場労働者の作業時間をストップウォッチを使って計測し管理者が徹底的に管理することにより無駄な作業や時間がなくなり生産性が上がる、というイメージが強く、いかにワーカーをサボらせず働かせるか、というような話かと思っていたら全然違った。
ということで、管理者が部下を常に監視し続けることを目的とするようなディストピアな世界観では全くなかった。
働き手が自分の考えだけで働く「自主性とインセンティブを柱としたマネジメントでは、すべての課題が最前線の働き手に事実上は丸投げされている」が、「科学的管理法の下では、そのうちの半分は確実にマネジャーが引き受け、働き手は確実に自主性を発揮する」とテイラーは本の中で語っている。
これはまさしくリモートワークにおけるマネジメントにも通用する極意ではないかと思う。
管理者はリモートワークの部下、チームメンバーに対して仕事を丸投げしてしまっていないか?
対処すべき業務課題(タスク)について、1日の勤務時間と作業量だけしか見ていないのであればそれは科学的管理法より以前の働き方に戻ってしまっているのではないか。それは言わばリモートワークの丸投げなのである。
筆者は何も出社することを貶めたり、リモートを崇拝しているわけではない。業務の目的・内容やライフスタイルなどその時々の状況によって最適な働く場所は変わるものだと考えているし、そのための選択肢を用意することが企業としてのあるべき姿だと信じている。
ただ管理者がリモートワークのマネジメントを理解せず、その責を全うしないで、生産性の低下をリモートワークのせいにばかりするのはあまりに乱暴ではないか、と思うのだ。
科学的管理法においてのマネジメントの役割と責任は、こう述べられている。
管理者が出社するオフィスの島で、チームメンバーと同じ時間、同じ場所で仕事をするのであれば指示も軌道修正もフォローもその場ですぐにできる。
でもそれは管理者にとっての生産性が高いのであって、ワーカーにとっての生産性が高いということと必ずしも同義ではないのだ。
テーラーはこうも言っている。
これは決して工場勤務者の肉体労働についてだけ当てはまるものではなく、人生100年と言われるようになった現代のオフィスワーカーにとっても十分当てはまるのではないかと思う。
そしてテイラーは、「一人一人が1日にどのような仕事をどれだけこなすべきかをマネジャーが十分に理解していないことこそが、協力を妨げる最大の要因」と言い切っている。
重要なのは、部下やチームメンバーを信用せずにストップウォッチを片手に従業員を監視することではなく、マネジャーが業務と求める成果をしっかりと定義し記述して、どのように進めるべきかをお互いに理解し合って協力して進めることなのだと思う。
ちなみに、「作業と休憩のメリハリをつけ、なんとなく時間が過ぎていく状態を避けなくてはいけない。」ということも、リモートワークで通用する考え方だ。
特に在宅勤務では仕事とプライベートの境界が曖昧になりがちで、集中力が落ちることも考えられる。
在宅勤務であっても仕事部屋と生活空間を意識的に分けたり、あるいは近隣のシェアオフィスやコワーキングスペースなど専用の仕事空間を活用することによって、通勤で生活時間を大幅に削らなくても、生産性を落とさずに仕事することは十分に可能なのだ。
最後に、これもまるで時代を先取りしたかのようなことが語られていたので、本記事の締めくくりとして引用する。
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