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ニューエイジ・リバイバルはどこから来たのか/レア盤のラスト・フロンティア

2019年11月に発表された第62回グラミー賞ノミネート作品に『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』が含まれていることに驚いた人は多いだろう。音楽愛好家のみならず、神秘を否定するあまねく人々から色眼鏡で見られていた(今も?)ニューエイジ・ミュージックが、まさかグラミー賞というメジャーなフィールドにまでその影響を及ぼす未来を、誰が想像し得ただろうか。

ニューエイジというだけで唾棄すべき音楽と虐げられていた20世紀と違って、21世紀はインターネットが大手を振って歩く時代だ。キーワードさえわかれば検索を通してダイレクトに音楽にたどり着けるし、なんだったらYouTubeやSpotifyが自動でレコメンドしてくれる。単語から消費までの距離はかつてないほど近くなり、解釈を通さないまま消費できる環境が整っている。これらの環境がリスナーに「ニューエイジってあんがい聴けるじゃん」と思わせたのは間違いない。

ただ、インターネットの影響がすべてかといえば、そうではない。今回は、21世紀のニューエイジ再評価ムーブメントの裏に、90年代日本の特別なレコード文化があったことを紹介する。そのためにはあるキーパーソンの歴史を紐解かなくてはならない。

その人物とは、アンソニー・ピアソン(Anthony Pearson)である。

Private Issue New Ageの世界

アンソニー・ピアソンはロサンゼルスのレコード・ディーラー。2013年11月にリリースされたニューエイジ・ミュージックのコンピレーション・アルバム『I Am The Center: Private Issue New Age Music In America, 1950-1990』のディレクションを手掛けた人物である。リリース元は『Kankyō Ongaku』と同じLight in the Atticだ。

サブタイトルにある“Private Issue New Age”という言葉はアンソニーの造語である。このコンピレーションは、彼が収集し価値判断してきた自主制作ニューエイジ・ミュージックの世界を紹介するとともに、アンダーグラウンドで進行していたニューエイジの再評価を世に問う象徴的な作品となった。

『I Am The Center』はアメリカのニューエイジに焦点を当てたものだったが、以降、ヨーロッパに焦点を当てた『The Microcosm: Visionary Music of Continental Europe, 1970-1986』、日本に焦点を当てた『Kankyō Ongaku (Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980 - 1990)』と続く。三枚目の『Kankyō Ongaku』は先述のとおり2020年のグラミー賞の最優秀ヒストリカル・アルバム賞にノミネートされた。

レア盤のラスト・フロンティア

アンソニー・ピアソンは1969年、ロサンゼルスに生まれた。本とレコードを愛する彼は当時の若者がもれなくそうであったように、パンク・ロックのレコードを収集する文化青年だった。そんな彼に転機が訪れるのは、進学である。

1996年。生まれ故郷を離れ、サンフランシスコで過ごしていたアンソニーは大学入学のためロサンゼルスへ戻ることになる。その頃のアンソニーには仕事がなく、奨学金で暮らしていた。彼は友人のトニー・シャーマン(Tony Sherman)がレコード・ディーラーを生業としていることを思い出し、声をかけてみることにした。

友人は快くアンソニーをレコード・ディールの世界へ招き入れた。当時のレコード・ディールにはまだインターネットの市場はなく、バイヤーとディーラーはFAXでウォント・リストのやりとりをしていた。

アンソニーとその友人が師事したディーラーの名はヒロ・ファルチ(Hiro Faruchi)。ヒロは80年代に東京のマンハッタン・レコードで働いていたつながりから、東京から定期的にウォント・リストが送られてきていた。アンソニーもまた、ヒロのもとに届く東京のウォント・リストを通じてレア盤の市場を学ぶことになる。

80年代から90年代にかけて、日本のレコード市場はかつてないほど盛り上がりをみせていた。ロサンゼルスではありふれていたレコード、価値がないとみなされていたレコードを、東京のバイヤーは驚くような値段で買い求めた。しかし、それだけではないことをアンソニーに気が付かせたのは、現在では世界の誰もが知っている、最もポピュラーなレコードの一枚。ジャクソン5の『ABC』だった。

そのバイヤーは『ABC』を6ドルで何枚でも買い取ると言った。希少性のある音源ではない。価値が知られていないわけでもない。こんなポピュラーな音源を、なぜ何枚も買い取りたいのだろうか。おまけに彼は「どんなコンディションであっても支払う」とまで言う。結局、アンソニーは彼に150枚以上の『ABC』を送った。

「このレコードをどうするんだい?」

「渋谷ではレコードがファッションアイテムになっていて、みんなこのレコードを脇に抱えて歩きたがっているんだ」

この出来事がアンソニーの世界観を変えた。東京のレコード市場は、自分の知るそれとは全く異なっているのだ。

ウォントに応じてR&Bやヒップホップのレコードを買い付けていたアンソニーは、やがて「もっと特別なもの」を求めるようになる。ロマンを剥ぎ取って言ってしまえば、より高値で売れるレコードだ。アンソニーはヒロからもらった日本のディスクガイド(それはそのままウォント・リストだと理解して良いだろう)を参考にした。ディスクガイドの名前は『Suburbia Suite』だ。

『Suburbia Suite』は、それ以前の音楽評論家から下に見られていたソフトロックやイージーリスニング、ラテンやフレンチポップス、ポップなソウルミュージックを積極的に取り上げ、評価した、90年代の日本のレコード市場に多大な影響を与えたレコードのガイドブックである。ジャンル内評価や歴史的位置づけの重要性よりも、今の自分達が聴いて心地よいか否かを重視したセレクトで、渋谷系とも重なり合う感覚を持っている。90年代の日本で醸成され、リスニング・スタイルを大きく変えた『Suburbia Suite』が、アンソニーのアティテュードにも影響を与え、誰も評価していないレコードへと関心を向かわせた。

80~90年代の日本には、世界からあらゆるレコードが集まった。ビートルズの1stプレスとか回収された盤とか、そういったすでにコレクター市場ができあがっている貴重盤ではなく、まだ世界中の誰も価値を見出していなかったレコードが日本でカテゴライズされ、整理され、値札を貼り直されていく。拓かれていく世界の中で、アンソニーが見つけ出した最後の未開拓地。それがニューエイジ・ミュージックだったのである。

そして環境は変化する

レコードディーラーとのコンタクトが雑誌『Goldmine』など限られていた時代を抜けて、eBay、popsike、Discogs、そしてMP3 Blog(はニューエイジ・ミュージックの再評価にとって極めて重要だ)が世界にニューエイジ・ミュージックを敷衍していくわけだが、リスナーがニューエイジ・ミュージックを受け入れるには、イタロ・ディスコやコズミックを経由したフロアのセットアップとアンビエントの再流行を待つ必要がある。

ディガーが掘り、集め、体系化して、高度経済成長の波と共に世界中から日本に集められたレコードは今、ふたたび海外へと帰りつつある。音源はデジタル化され、もはや物理的な流通に遮られない。この状況が生み出す現在進行系の物語は、2020年7月17日にDU BOOKSから発売された門脇綱生『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』に綴られている。

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※ 本稿は『Contra Mundum I-VII』(Oslo Editions、2011)に収録されたアンソニー・ピアソンの講演録を参考にしました。

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