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農家の長男は召集されなかったが

平塚の本家のおじさんは、戦争の経験はありません。農家の長男で徴兵されることなく、戦争中も農作業をしていたからです。

15年戦争では多くの若い日本男児が召集され命を落としましたが、食料を生産する農家の長男は召集の対象外だったといいます。

戦地に赴くことはなかったのですが、終戦近くになると、米軍のグラマン戦闘機が農作業をしている農夫に向かって機銃掃射をしたそうで、本家のおじさんは子供だった私にその模様を面白おかしく語ってくれました。

遠くの空から爆音が聞こえ見上げると小さな機影が見え、徐々に大きくなって近くまでやってくると、おじさんは農作業をやめて逃げる準備をします。
「するとな、バッバッバと機銃掃射され、小さな土煙があがるんだ。土煙は一直線にこっちに向かってる。5メートルぐらいまで近づいたところで、ひょいとよけるんだ。これがコツだよ」と、自慢げにしゃべります。「ひょいと」のところで体を動かすのです。
「飛行機乗りの顔が見えるんだ。あッかんべーをすると、相手は悔しがっていた」。戦闘機乗りの顔が本当に見えたのか、誇張していったのかはわかりません。

酒を飲まない本家のおじさんでしたが、その話をするときはいつも上機嫌でした。そして何度も同じを話をしたものです。
ただ、近の農家ではグラマンに撃たれて死んだり、不具になった人がいたそうです。戦闘機に搭載された機銃は、口径が大きく威力があり、当たれば死か重傷だったらしい。
昭和30年ごろに聞いた話です。

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