引用日記⑮

「顕在的体験は、非顕在的体験の“庭”に」 (III.78) 、すなわち、「規定可能的未規定性の地平に取り囲まれている」(III.101) 。非顕在性とは、潜在性のことであり、可能性のことであるが、それは、空虚な論理的可能性ではなく、「類型」的に予描され動機づけられた可能性である。その意味において、「すべて顕在的経験は、自らを越えて、可能的経験を指示している」(III.112) 。それ故、志向性は、顕在性において「遂行」されていなくとも、非顕在性において既に「発動」している(III.205) 。体験の持つこの地平によって、空間的な意味での地平は同時に、「時間的地平」(III.198) となる。この地平ゆえに、如何なる具体的な体験も「自立的」ではなく、時間的にもその連関に関して「補足必要的」(III. 202)である。このように「地平志向性」が現象学において重要な役割を果たすことは、ここ『イデーンⅠ』において初めて明らかにされた、と一九二七年のフッサールは振り返って記している(XVII.207Fn.) 。

浜渦辰二「時間と他者のアナロジー――地平と間主観性の現象学・序説――」http://www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/gyouseki/jikan-tasha.html

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