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あなたを知らない世代より

2021年。今年は色々と節目の年だ。
3月には震災から10年として多くの報道がなされたし、年末には個人的にも大切な人を亡くしてから10年になる。
10年という区切りで2011年当時を思い出して噛み締めることが多くある中で、現マリサポとして声を上げていいのか悩んでいたことがあった。

2011.8.4 松田直樹さんの逝去だ。

毎年記帳台も設けられているし、毎年時間きっちりに投稿される#FOREVER3で認識はしている。
ただ、悲しいことに私自身は2012年の夏にマリノスを初観戦し、マリサポになった身なのだ。実際に生のプレーを見たことがないし、そもそも名前も代表でふんわり聞いたことある気がする…くらいの存在。
それが私にとっての松田直樹だった。

故にこれまで毎年行われる#FOREVER3に参加するのはお門違いなのではと感じていたのが正直なところである。
周りの方々は当時のマツのプレーを知り、そのアツい男ぶりを知り、その上で哀悼の意を示している。
その中でこんなぺーぺーが知ったかぶった顔をしてクラブのレジェンドを悼むのは門外漢な気がしていたのだ。

しかし昨日(8/3)表明されたマリノス公式からの声明を読んで、考えを変えた。

これからどんどん増えていくマツのプレーを知らない世代が何を受け取っているのか。

私には当時を懐かしんで悼むことはできないけれど、それを伝えることはできる。
そう考えて今このnoteを書いている。

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これまでマツのプレーを知らない、覚えていないと散々書いてきた。
ただ、2011年。スタジアムをバックに流れたこの日のニュースは覚えている。
倒れたという報道、そして翌日の訃報。
普通の人より丈夫であろうスポーツ選手でもいとも簡単に命が消えてしまうのだと衝撃だった。
きっとこの衝撃が日本中に走ったのだと思う。

私は当時高校生だった。いつだったか定かではないが、保健の授業で松田直樹の死は一つの題材として取り上げられた。
心停止による突然死。松田直樹の死によってAEDの必要性が認知されたこと。設置が義務化されたこと。普及がどんどん広まっていること。
元々私の通う高校では救命講習を受ける時間が設定されており、その実技講習の際にも上がった名前が松田直樹だった。
今は公共の場であれば一定の距離内に必ず設置されているから、と。

授業で取り上げられるような人。
日本社会を少なからず変えた人。
そんな教科書の中の偉人みたいな捉え方。
もしかしたらこれが私の一番最初の認識かもしれない。

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マリサポになった後、ようやく松田直樹という人物が実体を持って私の中に存在した。
あの時の人はこのレジェンドのことだったのか!と繋がった時、余計に衝撃を受けたように思う。
マリサポになってから何度も見た2003年の優勝の瞬間。

そこに彼はいた。

皆がマツのあの時のプレーが〜と言っても私は懐かしむことはできない。
想いを持って何か語るのも躊躇われるほどの存在だと今も思い、逡巡しながら書いている。
それでも、私も松田直樹はこのチームのレジェンドなのだと思っている。そして皆が彼を愛していたことがひしひしと伝わっているし、そんな人を見られなかったことを悔しく思い、嫉妬する。
もっと知りたかった、と。

松田直樹を忘れない。
私にはこう言う資格はない。だって知らないのだから。
でも、松田直樹を知りたい。素直にそう思う。
それは試合に行けばいつも目に入る3番のユニフォームや、FOREVER3の弾幕による興味も一端だ。間違いない。
彼は誰なのか。なんでベンチにユニが掲げられているのか。そこから知りたい気持ちが生まれる。
こうして伝わっていくのだと思っているし、伝えて欲しい。

そしてAEDの普及で救われた命もどれほどあるのか。
今後も彼の存在を後世に伝えていくことが、どこかで誰かを救うことにも繋がるなんて。どこまで偉大な選手なのだろう。

思いつくままに書き連ねてしまったけれど、こんな私にもアツいサッカー小僧がいたことは伝わってますよ、ということ。
逆にマツのことを知っていて伝えてくれる人達には、それによって命が繋がることにもなっているんだということを知って欲しいなと思いました。

私も今年から参加させてください。

FOREVER3

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