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音楽を奏でる喜びのために 1

現在世界には一体どれぐらいの「音楽家」がいるのでしょう?それは全く見当もつきません。有名・無名、プロ・ノンプロ、無数の音楽家と呼ぶべき人々が存在していることでしょう。
ここでもう一つの疑問。どれぐらいの人が自分の奏でる音楽について、豊かで充実した手応えを感じているのでしょうか?

かつて何度か音楽を学んでいる方々の音大卒業記念、留学帰国記念、音楽教室の発表会などのコンサートに行く機会がありました。しかし残念ながらそこで充実した音楽を聴けた記憶がありません。もちろん私の知らないところで素晴らしい音楽は生まれているはずなので、たまたまそうだったのだろうとは思いますが、それでも私個人としては、職場の飲み会の下手なカラオケの歌を聴く方が楽しめたり、共感したりする確率が高いのです。それはなぜでしょう?当然音楽を真剣に学んでいる人は、技術的レベルが全然違います。であればこそ尚更疑問が湧いてきます。今目の前にいる演奏者の音楽が心に響かないのはなぜか?

うろ覚えですがかつて見たTVの中で、作曲家・指揮者の故レナード・バーンスタイン氏がこのような意味の言葉を語っていました。
ある人から「音楽家(あるいは指揮者だったかも?)になりたいのですが、私の実力でなれるでしょうか?」そのような相談を受け、このように答えたというのです。 「それは無理だ。なぜならそのような質問をしたがゆえに無理なのだ。」残酷なようですがそれは真実なのでしょう。
しかし同じような質問は、多くの音楽家未満の人の声だと思います。そこに何らか突破口が見いだせないものでしょうか?

音楽は人間の営みを凝縮した芸術だと私は捉えています。その凝縮によって曲が始まると一種の異次元ともいうべき空間が生まれます。私はそれを個人的に「音楽空間」と呼んでいますが、それは長さに関係ありません。長い演奏時間を要する曲があり、わずか1・2分の曲があり、あるいは短い鼻歌の一節のようなものまで様々です。本当に素晴らしい音楽家は、メロディーの断片を少し歌い・奏でただけで、その場の空気を一変させるような「音楽空間」を生む力があります。

そのような音楽を「できるようになりたい」ではなく、どうすれば実際にそれを生み出せるようになり、そこに広がる「音楽空間」を体験し味わうことができるのでしょうか?
実は「いつかそれができるようになりたい」という願望は往々にして、今、この瞬間にできること、やるべきことから自分を遠ざけることになります。まずそのことに気づかねばなりません。

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