突然プロ野球選手オタクになったジャニオタが2022年を振り返る


早いもので、私がプロ野球選手のオタクになって半年が過ぎた。
2022年ももうすぐ終わりということで、根っからのジャニオタが突然野球界隈に入ってからの半年の出来事や思い出を振り返ってみようと思う。
(5,000字超です。長いです。)


2022年5月27日。
地上波の中継で1推しとなる淺間大基選手のホームランとヒロインを見た日。淺間選手にハマるまでの過程はこの過去記事を参照いただければと思うが、推しとの出会いというものはどんなときも運命を感じてしまう。あの日野球中継を見ていたのはたまたまで、本当はジャニーズの遠征に行っていたはずだった。コロナの影響で公演が中止になり、家にいたのだった。あの日のことはこの先忘れることはないと思う。

SNSが発達している現代において新たな沼に落ちるというのは簡単で、ものの数日で私は「淺間推し」だなと実感する。パテレの数多の動画ときつねダンスのせいです。

6月初旬。
突然野球選手にハマってしまったことを自分で受け入れられずモヤモヤした数日間を過ごした。今すぐにでも試合を見に行きたい。その反面、試合に行ったら今以上にハマって抜け出せなくなると感じていた。
ジャニーズはデビュー組とJr.両方を推しているが、デビュー組でもいいとこ年に1回札幌に来るかというところだし、Jr.に至っては札幌に来ることなんてまずない。基本的にジャニーズの現場に行くには遠征、という生活を送っていた私にとっては、たった1時間程度で会場に行けてしまう界隈にハマることが恐ろしかった。通いつめるに決まってるから。

6月8日。
沼に落ちている最中のオタクが落ちることをやめられるはずはなく、私は札幌ドームに向かっていた。気づいたらナイターのチケットを買っていた。試合に行くからにはと、淺間選手のレプリカユニフォームとタオルも買った。道民なのでファイターズというのは当たり前の存在だったが、「レプリカ着てまで応援するほどでは…」というスタンスだった。そんな私がまさかそちら側の人間になるなんて。

ファイターズ戦の観戦は中高生の頃に片手で収まるくらいはしたことがあった。ただその頃は野球のルールはわかっていたけど、好きという感じではなかったし、途中から飽きて食べ物を買いにうろついたりみたいな、野球を観ることに集中するという感じでは到底なかった。


本格的にハマって観ると、ただただ楽しかった。まず応援が楽しい。声は出せないけどタオルを掲げたり、チャンテで手拍子をしたり。ジャニオタだから応援という行為が好きなので。楽しくないわけがなかった。
選手の写真を好きに撮れるというのもジャニオタからすると新鮮だった。まだこの時点ではカメラを買ってまでは撮らなくてもいいかな、なんて思っていたのだが、人間どうなるかわからないものですね(後述)。大人の特権だけど飲酒できるのも楽しい。推しを観ながら飲む酒はうまい。

6月8日。淺間選手とのコラボメニュー「桜れもん」を片手に


現地に行くとやはり「もっと行きたい!」という気持ちになった。ジャニーズと違って、もっと行きたい、と思った時に簡単にチケットが手に入るのがとても有難いけどよりドツボにハマる要因なんだなと思った。それと何人推していても咎められないのも気持ちの面で楽だなと思った。ジャニはグループ内掛け持ちは基本的に御法度なとこがあるので。もちろん球団とジャニーズのグループでは全体の人数に大きな違いがあるけど、A選手のユニを着てB選手の打席でB選手のタオルを振っても特に咎められないということに最初は戸惑った。

6月は8日を含めて6試合に行った。印象深いのは10日の谷内選手のサヨナラ。今となっては谷内選手も好きな選手の1人なので大変申し訳ないが、正直全く期待していなかった。それよりもネクストで待機してる淺間選手に回る可能性も場合によってはあったのでそちらに気が気じゃない状況だった。そんな中でのサヨナラ打。現地にいる人しか味わえない高揚感というのはこういうものなのかと実感した。

7月。現地5試合。
この月は正直しんどかった。8月も9月もしんどいんだけど(後述)。上旬は淺間選手の調子がよろしくなく、1打席ごとにお腹を痛める状況だった。打率の計算をしてもし今日全部凡退でもまだこの数字、みたいな感じで神経を擦り減らしていた。
そしてあの中旬の西武戦での補殺。現地行きたかったなあ。先に決まっていたジャニーズの遠征で行けなかった。今思えば、あの西武3連戦は淺間選手が絶好調だったので本当に行きたかった。悔やんでも仕方ないんだけど。来シーズンは野球を優先したいと思った。十数年ジャニオタをやってきた私をそう思わせる野球、恐ろしい。

そして淺間選手の離脱。このことはこの過去記事に書いたので割愛するが、離脱から2度目の手術終了が発表されるまで、精神的に辛い日々だった。振り返ってみるとその期間があったからこそできた友人もいるし、できた経験(後述)もある。辛かったけど、無駄だったとは思っていない。


8月。現地7試合。
11日の清水優心選手のサヨナラと27日のポンセ投手のノーノーが印象深い。清水選手は色々と言われがちで私としては「そこまで言わなくても…」と少し同情していたところがあった。そんな中でのサヨナラ打。現地で泣きそうになるくらい嬉しかった。

ノーノーは前日の0-10で敗戦した試合も現地だったこともあり、なかなかに疲労困憊の状態で27日は観戦していた。が、試合が進むにつれ会場全体がそわそわしてきたのを肌で感じた。私も8回くらいから手汗が止まらなかった。達成後、ポンセ投手が「アリガトウコザイマス」と言ったのを聞いて涙が出そうになった。


初めてビジター観戦をしたのも8月。ジャニーズの遠征(ただしそちらは台風で中止)とくっつけてZOZOマリンに行った。屋外で野球を観るのも初めてで、ドーム球場とは違った開放感と自然な風が心地よかった。台風の前だったから心地いいというか…という時間もあったけれども。
ビジターで見ると空気感が全く違うなと思った。ホームでさえ負けていたらきついのにビジターはもっときついということがわかった。しかもサヨナラ負けした。きつい。

ZOZOマリンスタジアム外野スタンドより。

ZOZOマリン観戦の翌々日、鎌スタに初めて行った。当初は行く予定ではなかった。でもどうしても淺間選手の姿を一目でも見たくて急遽旅程を変更して行った。降りるのも初めてな西船橋からバスに乗って行った。ジャニオタで培った行動力に自ら感謝した。鎌スタ界隈(命名)の雰囲気はこういうものなのか…と着いた瞬間完全アウェー感に包まれた。コロナ前はもっとディープな空間だったんだろうなと察した。推しのことは一目見ることができた。ディープな界隈なので行かなくていいなら行きたくないと思った。この後数回行くことになるんだけども。

9月。
淺間選手の手術終了が発表され、肩の荷がだいぶ降りた。鎌スタも1回行ったけど多分2度目の手術前で居なくて空振り三振した。
現地は5試合。印象深いのは2推し・上川畑大悟選手のプロ初サヨナラ打を観られたこと。95%1人観戦なのだけれどもこの日は母親との観戦で、母親も上川畑選手のことが好きなので2人でタオル振ってめちゃくちゃに喜んだ。
最終戦にももちろん行った。当たり前だけど淺間選手はいなくて、不完全燃焼感に襲われた。来シーズンは後悔しないように現地に通おうと決意した。


10月。
シーズンが終わった。ジャニの遠征ついでにまた鎌スタに行った。こんなに鎌スタに行くことになるんなんて思ってもいなかった。
中旬になって、鎌スタの練習見学の日程が発表された。すぐに飛ぼうと決意した。鎌スタに行くだけならと久しぶりにLCCを予約した。実際成田からの方が近い。
友人と練習見学の話をしていたところ、友人がこう言う。

8月上旬のスタンド開放に行った友人の話

6月には「カメラ買ってまでは…」と思っていた私も流石にその話を聞くとカメラが欲しくなった。
週末にビックカメラとヨドバシカメラをハシゴした。どのカメラが良いのか全くわからなくて値段だけざっくり確認して帰った。
わからなすぎて高校時代に写真部に入っていた仲のいい先輩に相談した。私の初歩的すぎる質問に全て親身になって答えてくれた。先輩の話を聞いているうちに段々と自分が何を重視するかが見えてきて、買いたいと思う機種が見つかった。またビックカメラに行った。カメラバッグとかの周辺の物品も店員さんに教わりながら揃えた。ついに買っちゃった。まさか自分がカメラを買うことになるとは。本当に人生って何があるかわからないものですよね。

金曜日、定時退勤をキメて新千歳に向かってほぼ最終のLCCで成田に飛んだ。土曜の朝から練習見学に行くにはそうするしかなかった。
鎌スタの中に入るのは初めてだった。いつもあの辺で棒立ち()しかしてなかったので。棒立ちの間も買ったばかりのカメラを駆使して撮影した。当たり前だけどスマホとは全く違う。画質が全然違う。
球場に入ってからは外野の方で走る推しを無我夢中で撮った。望遠レンズはすごい。バックネット裏から外野を撮っているのにしっかりと顔が認識できる。

10月29日、鎌スタ練習見学にて。淺間大基選手。

土日合わせて1000枚近くは撮った。写真の選別は大変だったけど推しの頑張る姿、楽しそうな姿を自分で撮ることができる喜びを噛み締めた。これがカメラ沼かと思った。こんなに楽しいならシーズン中から撮りたかったと後悔した。


11月2日。
西武の推し・山田遥楓選手がトレードで移籍してくる。このときの気持ちも詳しくはこの過去記事に書いたので割愛するが、事情が事情だけど正直嬉しかった。その後山田選手は秋季キャンプに参加して上川畑選手と仲良くなったようでただただ私得でしかなかった。好き×好きは至高なのよ。

13日はまた練習見学に行った。本当は行くつもりはなかったけど、12日から母との旅行で東京にいたので母に土下座して13日の午前中だけ鎌ヶ谷に行かせてもらった。結局秋季練習見学5日間のうち3日も行ってしまった。道民なのに。

23日。ファンフェス。
福住駅から向かったのと席が三塁側だったので北ゲートのほうが近かったけど、激混みで誘導員に南ゲートを勧められたのでそっちの入場列に並んだ。並びながらどうやら選手の出迎えがあるらしいとわかり、自分らが並んでいる入場列から入れる南1には清水選手がいると知った。清水選手は一緒に行った母が好きな選手。
「待って南1清水」とオタク特有の早口で母に伝えた。母、ゲートの手前の時点で泣き出す。母は泣いたまま清水選手からファンフェスの案内が入った袋を受け取った。にしても清水優心さんめちゃくちゃ背が高くてびっくりした。推しだと想像したらそりゃ泣くわと思った。生きてれば良いことあるねと母が言った。母の喜ぶ姿を見て自分のことのように嬉しかった。これだけでファンフェスに来た意味はあったと感じた。ファンフェスの思い出は他にもあるけど、母が清水選手を間近で見て号泣したことのインパクトが強すぎて、もうそれだけでチケ代お釣り来るわというレベルだった。

25日。
夢みたいな日だった。市町村応援大使の興部町のイベントに参加した。町外の人も参加できたのが奇跡だと思う。あんな距離で淺間選手を見ることは多分もうないと思う。詳しく書きたいけど、書けない。あの日のことを一言一句書くとただのマウントにしか見えないから。もし私が行けなかった側の人間だったら、その感想を読んだらイライラするくらい夢みたいな時間だった。淺間選手は本当に素敵なプロ野球選手だと改めて思った。この先どんなことがあっても推し続けたいと思った。未だにあの時間は夢だったのではないかと思う。でもこの淺間選手のインスタの投稿を見返すたびに、現実だったんだとまた思う。夢だった→現実だった→夢だった→現実だったを2週間以上経つのに繰り返してしまう。それくらい、夢みたいで幸せな時間だった。


そして12月。
完全なるオフシーズンというものはこういうものなのかという気持ちで過ごしている。ベルコのトークショー当たってくれと思う今日この頃だ。

プロ野球選手のオタクになって、早半年。今まで生きてきたジャニーズ界隈と違うことに戸惑ったり、プロという厳しい世界を実感したり、全てが新鮮だ。
熱しやすく冷めやすいと自負する私だが、今のところこのモチベーションの高さは全く冷める気配がない。2月の沖縄キャンプも行くことを決め、先日飛行機と宿を予約した。沖縄自体行ったことがないので今のいちばんの楽しみは沖縄キャンプだ。


そして来シーズン。
新球場の開幕3試合のチケットが取れるのかとこの界隈では珍しくチケ鬱になりそうだが、楽しみでしかない。私としては札ドよりも行きやすくなる説もあり、22シーズン以上に通いたいと思っている。プロという厳しい世界、いつ推したちに何があるかわからない。何もないことがベストだけど、万が一何かあったときにもっと推していれば…と後悔しないように、来シーズンも自分のできる範囲で最大限、推していきたい。



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