2年前

ご機嫌いかがでしょうか。Yukiです。

2018年の今日、大阪府北部を震源とする最大震度6弱の地震が発生しました。ブロック塀の倒壊や駅の電光掲示板が宙ぶらりんになるなど、大きな爪痕を残しました。かくいう、僕も被災した1人です。そんな僕が地震のときのエピソード、この地震で学んだことをお話しします。

発生当時

地震が発生した当時、僕はいつも通り膳所駅でバイトをしていた。次の列車に神経を向け、もうすぐ到着というときに揺れに襲われた。膳所駅のある大津市は震度5弱を観測した。蛍光灯や看板類が大きく揺れ、地響きのような音も大きかった。ただ、僕自身は転倒や怪我をすることは無かったのは幸いだった。

それから、事務室へ戻って状況を確認しようとすると、運行情報のディスプレイは真っ赤で、近畿地方のJRや私鉄が全てストップしていた。改札にいたお客様は全員呆然と立ち尽くす人が多く、途方に暮れているようだった。僕自身も突然のことでただただ、立ち尽くすしかなく、社員さんに任せっきりだった。

過去最長の徒歩

バイトの契約上8時50分でその場を後にした。その場で立ち止まっても仕方ないと思って、とりあえず国道1号をひたすら歩き、鉄道が動いていたら最寄駅から乗るということにした。家族の安否確認や、コンビニで休憩中にも携帯のテレビやradikoで情報を集めつつ、膳所駅から山科駅までの6.8㎞を約2時間かけて歩いた。山科からは地下鉄が順次動き出し、最寄りの近鉄電車も少しずつ動き出していて、そこからは何のトラブルなく帰路に着いた。

東日本大震災のニュースを見ていて、帰宅困難者の報道を対岸の火事のように見ていた。しかし、いざ自分がその立場になると、本当の大変さを知った。テレビで見ていても、自分がなったみないと本当のことって分からないことだと思う。

家に帰って…

自宅のある宇治市も震度5強を記録。あれほどの揺れだから部屋は倒れた家具でぐしゃぐしゃだろうと思いドアを開けた。すると、洗面台の歯磨き粉などが倒れていたぐらいで、家具、家電、突っ張り棒などが倒れたり、落下することはなくほぼ無事だった。

その後、数日間は震度4前後の余震や緊急地震速報で深夜に起こされる不安の夜が続き、精神的には参っていた。しかし、熊本地震で前震からの本震があったように次はもっと大きい揺れが来るかもしれないことを予想して、それに向けての対策は進めていた。スーパーで、非常用飲料水、缶詰めなどを買い揃え、ホームセンターでヘルメットを買い、思いつく限りの対策を進めた。

学んだこと

2年前の地震では、特に防災、減災の必要性の強さを感じた。阪神淡路大震災は元より、震度5以上を1度も経験したことがない僕にとっては、先生や親などから人づてに地震の恐怖を感じることぐらいだった。この地震を経験することで本当の地震の恐怖を感じたとともに防災、減災の対策や必要性がどれだけ大事かが分かった。ここ数ヶ月ぐらいは地震が頻発していて、いつ起こるか分からない大地震は誰しも不安がある。どこであれ、被災するリスクは付き物だ。だからこそ、日頃から避難経路や非常用備品の確認をし、万全の備えができるようにしておくほうが、いざというときや不安を取り除くことに繋がると思う。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。