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京都市営地下鉄40年

1981年の今日、京都市交通局が烏丸線京都〜北大路間を開業。それから今年で40年を迎えることとなった。観光都市でインバウンドに大きく支えられてきた面があり、京都〜四条間は昼間でも混んでいたほど。とはいえ、高額な建設費や京都市本体の財政状況から長らく厳しい経営を強いられている。それでも、通勤通学には欠かせない地域の足として活躍している。

現在の路線は近鉄電車と接続する竹田駅(京都市南区)から国際会館駅(同市北区)に至る烏丸線と太秦天神川駅(同市右京区)から六地蔵駅(宇治市)に至る東西線がある。烏丸線は竹田から近鉄電車に乗り入れ、新田辺駅(京田辺市)まで各駅停車が、昼間の一部は急行として近鉄奈良駅まで相互乗り入れを、東西線は御陵駅(京都市山科区)から太秦天神川まで京阪京津線の電車が片乗り入れを行う。

地下鉄沿線

烏丸線は京都駅や四条烏丸などの繁華街や洛中屈指のオフィス街烏丸御池(からすまおいけ)、府庁を擁する丸太町、同志社大学最寄りの今出川、北区最大のバスターミナルとショッピングセンター「ビブレ」を擁する北大路など京都の中心を貫く。
一方で東西線は、桜の名所醍醐寺やロームシアター京都(旧京都会館)、京セラ美術館、みやこめっせ、東山動植物園、琵琶湖疏水、二条城など観光名所が多い他、烏丸線、JR、京阪(本線系統)、路面電車の「嵐電」など乗り換え路線に富んでいる。

皮膚科に行ったとき

京都市営地下鉄は両路線とも滋賀に住んでいた昔から馴染みが深く、烏丸線の鞍馬口(くらまぐち)駅は母に連れられ、皮膚科に通っていたときにはよくお世話になった。言っちゃあ悪いが、母の言いなりになっていた分アトピー改善効果は薄く、今の病院の方が自発的なのが相まって比較的良い。
ちょっと嫌な思い出みたく言ってしまったが、このときから烏丸線の10系に乗るとテンション上がるし、直通してくる近鉄が奏でる唸るモーターを聴くとさらにテンションが2倍、走ってる電車では一番新しい3220系になると4倍になったもんだ。

田んぼmeets地下鉄

↑Yuki撮影の動画よりスクショ
そんな烏丸線は、大学からは日常的に見ることになった。住んでいる最寄りは近鉄だが、地下鉄の直通区間のため、朝から晩まで銀色に緑帯の地下鉄所属車による新田辺行きor国際会館行きの各駅停車がやってくる。

↑「らしくない速さ」で寺田駅を通過する地下鉄所属車による国際会館行き急行
加えて、昼間の地下鉄始発奈良行き急行は一部に地下鉄所属車も入り、約100㎞/hで通過駅を高速で次々飛ばす様は大阪や神戸の地下鉄では見ることができない光景だ。さらに、向島〜小倉にかけての西側には、池を干拓した田んぼや畑など田園が広がっていて、その脇を駆ける地下鉄はいい意味で違和感あり過ぎる光景ながらも、都会的な地下鉄×スローライフな田園というコラボは毎日見てても飽きなくて、琴線を揺さぶられる。

もう四十路。

地下鉄の開業から40年経つものの、実はこの当時から烏丸線の車両が置き換わったことは一度もなく、形式は一貫して10系のみ。

いずれも同じ10系という電車で右の車両は開業時に製造された初期型で2021年に入っても、リニューアルなどは一切施されず、急行としても元気な活躍をしている。そして、左の10系はマイナーチェンジされていて、全体的に少し丸みを帯びている後期型。こちらは数年前にリニューアルが実施され、モーターを新しいものに、行き先表示はフルカラーLEDで日英中韓の多言語対応に、車内ドア上には細長の液晶ディスプレイが設置された。

遂に…!!

そんな10系のうち初期車には変化が訪れることになっている。

とうとう新型車両に置き換えが決まったのだ。形式は未定だが、内外装デザインが公募で決まり、東大阪の近鉄系鉄道車両メーカー「近畿車輛」が鋭意製作中。
烏丸線としては開業以来初の置き換えと新形式車両。また、近鉄京都線、奈良線(大和西大寺〜奈良)も走ると思われ、その場合、線内で最も新しい車両となる。
このデザインの公募は僕も投票した、それぞれ3種類から内装と外装1つずつ選択した。このうち、外装は僕が投票したデザインが得票1位で採用された。
個人的には3種のデザインの中ではこのデザインが好感が持て「思いっきり殻を破って、令和の烏丸線に新しい風を吹かせてほしい」と願ってこれに投票した記憶があって、きっと愛着を持てると思う。
早ければ2021年度中にはお披露目されるとのこと。開業40年の烏丸線に新型車両がいい刺激を与えてくれることを期待したい。

歩き疲れて乗った東西線

↑東西線50系(ガラス窓のホームドアだから少々写りが悪いのが難点😅
ちょっとだけ東西線にまつわる思い出を1つ。それは3年前の6月、「大阪北部地震」発生後のこと。膳所駅でアルバイトを終えた後、電車が使えなくなってしまい、歩いて家を目指すこととなった。「逢坂の関」を越えて国道1号を約2時間。山科駅までやってきた。やっぱりJR、京阪は動いてなくて、少し休憩して、母との電話してからまた、歩こうと腹を括ったときだった。東西線の入口からぞろぞろ人が歩いているのを見かけ、「もしや…!!」と思って、地下鉄の駅員さんに尋ねたら、一足早く運転を再開していたのだ。地下鉄は地震に強いなどとよく言われているが、このときも点検の結果異常が見つからず、発生から約3時間で全線が運行を再開していて、それを証明するようなこととなった。ここから烏丸御池で乗り継ぎ、後に最寄りの近鉄も再開したことで家路に着くことができた。
山科以降も覚悟を決めてはいたが、前例ない距離の徒歩故に翌朝は筋肉痛になる程。これ以上歩いていたら肉離れなど日常に支障をきたしていたかもしれない。そんなときに見つけた東西線はある意味救世主のようだったと思う。

今回は京都の地下鉄が40歳ということでいろんな思い出を綴りました。コロナ禍以前から様々な苦難にぶち当たってきながらも、京の街の日常を駆け抜け続けた地下鉄。今年度は新型車両という良い話題があるし、僕自身も自宅の近所で贔屓にしている。最近は近鉄線内以外はご無沙汰なのだが、1日乗車券で乗って、まだ降りたことない街でも探検してみたい。

鉄道大好きな僕にとっては、近所の電車、身近な電車のアニバーサリーほど嬉しいものはない。ホンマにめでたいこっちゃなぁ。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。