ウチのじいちゃんみたいな電車
乗り放題きっぷを使って「我孫子道(あびこ道)」までやってきた。いろいろ電車を撮っていたが、そこに大物でレアなレトロ電車がやってきた。
161形164号
それが「161形」。阪堺電車最古参、かつ定期運行で使われるものでも国内最古参、動態保存を含めても5本の指に収まる古さだ。
じいちゃんと同世代
製造は「昭和3年」。2024年で御歳「96歳」になる。
余談だが、「161形」は僕の父方の祖父(じいちゃん)の1個下っぽい。じいちゃんは2017年に89歳でこの世を去ったが、「161形」はまだこの世で頑張っている。「ウチのじいちゃん」に近い車齢の電車には親近感を感じ、じいちゃんの面影を重ねてしまう。
あびこ道で折り返し、「えびす町」行きとなる。この電車に乗るためには持っている乗り放題きっぷは使用不可。ICカード「PiTaPa」を使って、終点まで乗車する。
博物館の展示車
車内の壁や床を見ると博物館の展示だと見紛える。そこに入って隠居しててもおかしく無いはずの電車が大切に手入れされ、今でも動く。これが令和の大阪で日常に溶けこむというのが驚く。戦前、戦中、戦後、高度成長期、バブル、2000年代、令和。数々の時代を生き抜いたこの電車の人生を聞きたくなる。
161形の小説
そういう妄想を叶えた小説がある。架空の161形「177号」という1両の電車が主人公。ストーリーテラーとなって、廃車になるまでの86年に渡る一生を回顧する物語だ。リアルな沿線で巻き起こる事件簿は小説が苦手な僕にしては珍しくハマったし、内容も想像しやすかった。朗読してみたこともあった。こういうのを小学生で知りたかった。
時代に合わせたり、合わせられんかったり
古い車両とはいえ、運賃箱はICカードには対応済み。僕の「PiTaPa」も何事なく使えるし、Suicaなどの全国のものも使える。
一方で次の駅を知らせる液晶画面は付いていない。運転士が口頭でお知らせしている。そして、もう一つないものがある。
冷房装置
「161形」は基本的にほぼ毎日運行しているが、冷房が必要となる5月から初秋にかけては運用に入らないようにしている。現役車両で付いていないのがこの形式のみ。朝ラッシュでも足りている。
ただ、住吉大社の初詣輸送はラッシュの本数だけではパンクしてしまう。古いこの電車が残されているのはこのため。暖房はついている。ただ、真夏でも貸し切ることはあるそう。逆に乗ってみてサウナ感を味わいたい。
爆音と下町
モーターは年代物な上に防音が弱い。ライブハウスよりはマシだが、周りの会話はほとんどかき消されるレベル。爆音を奏でて下町を走っていく。
住吉大社を過ぎて、「住吉」停留場。ここから帝塚山や天王寺へ向かう「上町線」が別れる。
住吉公園駅
コインパーキングの敷地にはかつて線路が敷かれていた。この先にも線路が続いていて上町線の終点「住吉公園駅」があった。
かつては天王寺から来る電車の半分がここに来ていたが、「あべのハルカス」開業に伴う2014年のダイヤ改正でほとんどが「浜寺駅前」か「あびこ道」発着に変更。住吉公園駅8時台発最後の電車が「日本一早い終電」と呼ばれるほど少なくなった。
元々あった阪堺線「住吉鳥居前」停留場が至近距離にあったことで存在意義が無くなり、2016年に廃止された。
えびす町方面へ
電車が進む「えびす町」方面も2014年改正で本数が少なくなった。昼間は1時間に2本が基本、時間によっては1時間に1本やそれ以上時間が開く場合もある。大阪市内でありながら僕の故郷と同じかそれ以下の本数というのは秘境のような違和感がある。
この辺りは道路の幅が狭い。「えびす町」行きの線路は左車線と共有。後ろから自動車が追走する形になる。クルマも電車もなかなか運転が難しそうだ。
南海高野線をクロス。その手前にはレンガ造りの建物。調べると「玉出変電所」という建物で今でも南海電車に電気を送っている。この電車同様、かなりの年代物。今でも現役なのが不思議だ。
新今宮駅前とステキな落書き
西成の街を進み、「新今宮駅前」停留場に着いた。この駅では運転士によるセルフ2ヶ国語放送が行われた。中国人ファミリー7、8人が乗っていて検索で出てきた新今宮まで乗っていた。
「新今宮駅前」のホームはかなりド派手。路地裏の落書きに似てるが、これは阪堺電車や大阪市などが自ら仕掛けた地域活性策。
一部の駅や西成区の街中の壁をウォールアートで彩るというもので、デザインはプロのアーティスト。看板類は事前に色が被らないよう避けられている。奇抜かつ、キレイな仕上がり。ステキな「落書き」やないか。
恵美須町/えびす町
終点の「恵美須町」に着いた。「あびこ道」と同じく行き先はひらがな混じりで「えびす町」と表記される。近くには「通天閣」や大阪一の電気カルチャー街「日本橋でんでんタウン」がある。
車体のカラーは茶色。この車両の1世代前の電車をモチーフにしている。
インスタでお知らせ
他にも1980年代のわずかな期間に走っていた濃緑と黄帯の試験塗装「ビークルスター」や福岡・北九州と直方市を結ぶ路面電車「筑豊電鉄」とコラボした「赤電塗装」、デビュー時のビジュアルに復元した「161号」がいる。
どの電車が走るかを、公式インスタグラムでお知らせしてくれる。(これストーリーにした方がよくね?と思うが…)
ただ、雨の日は運休もあるそう。
ラージなキャパと自動扉
車両は3扉でキャパシティが大きい。ワンマン化で片側1ヶ所ずつが埋められたが見た目の変化はない。
真ん中の扉は自動扉を採用。今でこそ当たり前だが、当時は画期的だったそう。前後ろだけは車掌と運転士が手動で閉めていたが、後の改造で全扉自動化された。
ワンステップ
「ワンステップ」というこの車両。他のと比べると段差が高い。他の車両にある「補助ステップ」すらない。
降りてみると2段飛ばしぐらいの強い着地が足元がビビる。下手したらつまづく高さゆえに「段差にご注意ください」としきりに呼びかけられる。あと付けで補助ステップを設置した形式もあるが、よく見れば設置スペースが狭すぎる。
ただこのスタイルがいい目印になっている。アプリの位置情報では行き先を4タイプで色分けし、バリアフリー車両に乗りやすくしている。「ワンステップ」を示す赤い行き先はほぼ161形だ。
鎧戸
車内を観察すると「鎧戸」を発見。
明治村にいる路面電車にもあったものでそれと同じ仕組みで引き出せる。しかし、扱いを間違えたらケガしかねない上、貴重なものを破損させたらむっちゃ怖い。ちなみに、僕は阪急電車の鎧戸を下ろしたら跳ね返って肘を強打したことがある😖
プレイリスト
帰り道では音楽をお供。電車の世代をガン無視し、いつも通りのZ世代の好きなやつ。「じいちゃんみたいな電車」で聴く「孫のような音楽」。こういう選曲もまた一興なのではないか。
あびこ道へ戻ってきた。ここから浜寺駅前へ戻る。
351形
351形がやってきた。阪堺電車が南海電車直営だった1963年にデビューした。
車両は「帝国車輌(帝國車輌工業)」製。かつて堺市内にあった車両メーカーだ。南海電車を中心に多くの鉄道車両を製造してきたが、関東のメーカー「東急車輛製造」に吸収合併。
後にJR東日本傘下になって「総合車両製作所(J-TREC)」に名を改めた。大阪にあった工場は閉鎖され、和歌山に統合。鉄道車両については神奈川県逗子市と新潟県新津市に集約されている。
車両のフォルムは「大阪市電」によく似てる。このメーカーでは多数の大阪市電が造られていて、世代も一緒。市電に在籍したことはないが、市電のカラーに“コスプレ”したことがある。
「161形」と同じ古いモーターを積んでいるが、かなり音は抑えられている。あっちの方が爆音が過ぎる。
浜寺駅前に戻ってきた。
乗り放題を使い余した感はあるが、レアでウチのおじいちゃんが記憶に蘇る電車に乗ることができた。96歳というのだからいつまで持つかは分からない。ただ、恵まれた体格のようなラージキャパシティでアイドル的存在。「生涯現役」のように壊れるまで走り続けることだろう。