アルバイトの話

ご機嫌いかがでしょうか。Yukiです。

今回は大学時代にやってた駅員のアルバイトについてどんな仕事をなのかの紹介や嬉しいエピソードを語りたいと思います。

駅員のバイトって?

「バイトで駅員!?」このことを言うと9割はびっくりされることが多く、珍しめのバイトなんです。どういうことをやるのかと言えば、ホームに立って、監視、安全確認、首都圏や京阪神の混雑路線では満員電車の押し込み、いわゆる「押し屋」ってやつをやったりもします。僕は滋賀県のJR膳所駅で主にやっていましたが、京阪神に比べればまあまあ余裕があり、普段の通常運転だと押し込み無しでも扉が完全にしまるぐらいです。バイトとはいえ、トラブルの初期対応をやることもしばしば。急病のお客様や車内トラブルの対応etc。ただバイトができることは限られるので、細かな対応は社員さんにお任せしてます。ダイヤの乱れとかになると、人でごった返して社員さんもてんやわんやで怒号を浴びることも。さらに宇治から膳所駅までの50分の距離を電車で平日毎日通い、さらに朝も早く、5時起きでした。そんなハードな仕事でしたが、人に恵まれた上に、昔から好きなことに直結したバイト、さらに結果を出せたということもあってか、結果的に大学卒業までの3年7ヶ月も続けられました。

やろうと思ったきっかけと始まり

大学1回生の5月、ラジオのイベントに向かう途中に膳所駅でバイト募集の張り紙を見つけ勢いで応募した。その後面接も無事通って、その2ヶ月後石山駅に配属された。バイトは僕1人でどのように振る舞えばいいか、どのように接したらいいかモヤモヤして、やり始めの当初は戦々恐々だった。それから5か月が過ぎたある日、係長から「来月から膳所駅に行ってくれないか」と言われた。膳所駅のバイトが就活で辞め、スライドされることになった。僕は快く引き受けて、2017年年明けから膳所駅に異動した。

ええ声が花開く

膳所駅では石山駅時代にはなかったホームでのアナウンスも担当することになった。それが僕のある才能を開花させることになった。ある時放送していると、社員さんから「ええ声してるね。声が通ってる」と言われた。その当時は自覚はなくびっくりしたが、かなり嬉しかった。それから、独学のボイストレーニングやテレビ、ラジオのアナウンサーさんの話し口調、学生放送局で培った経験などを取り入れ、アナウンスに磨きをかけていった。さらに、肉声の英語放送にも挑戦した。自動放送の文面を耳コピし、意味合いを考えた上でのアレンジを加えただけの放送だったが、ネイティブっぽく聴こえる雰囲気で喋るなどクオリティもアップした。その結果、これらの放送が評価を受け、お客様からお褒めの便りを頂くことになった。英語放送も駅長曰く評判が良かったみたいで、ある社員さんからは「英語得意なん?」と言われたほど。正直なところ、TOEICなどの資格はない上に、高校の英語の成績は中の下ぐらい、大学では再履修になったほどそんなに得意ではなかった。ただ、訪日客を頻繁に見かける度に「英語でアナウンスしたら、安心してもらえるかなぁ」という些細な思いから、好きだった英語の自動放送をマネしてみただけのこと。それでも評価されたのはありがたかった。

まさかのプレゼント

バイトを卒業する直前のある日、いつも通りホームに立っていると50代ぐらいのマダムから声をかけられ、「あなたを題材に短歌を作ったの。そしたら、それが新聞に載ったのよ!」と新聞のコピーを僕に差し出した。そこには

膳所駅の 声良き男の子の アナウンス 

けふは休みか 耳の寂しも

この頃は就活で失敗し、選択肢は大幅に減って、この数日前は父から「バイトを今すぐ辞めろ」と宣告された辛い時期でもあった。しかし、この瞬間は「ここまでやってきて本当に良かった。」と心の底から嬉しい瞬間だった。自分が作品の主役になるなんて誰しも経験できるものではないから。

最後に

バイトを卒業し、内定先は声の良さを一切生かせない仕事です。ただ、いつか再びこのええ声をどこかで開花させたい。この声で元気を届けたいというふうに思ってるところですね。そんな自分もいつも大好きな女性ボーカルに癒され、元気を貰っていますが、声のパワーとか魅力って侮れないもんだなぁって思いますね。



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