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腎盂癌の診断前後

2年前、ツール・ド・東北を完走したあとくらいから、ときどき尿にうっすらと血が混じるようになっていた。目視でそれなのだから、実際は見えないだけで、前から血尿だったのかもしれない。

それから、3ヶ月に1度は定期検診を受けることにした。確かハタチの頃、一度だけ結石になっていて、原因はそれだろうと思っていた。両方の腎臓には、人より多くの結石が埋まっていた。

しかし、2年経っても血尿はおさまらない。「両方の腎臓にある結石の数も異常だけど、それにしても稀な症状だ。」とお医者さんは言う。続けて、「腫瘍の可能性を排除しよう。」と。

7月、細胞診の判定は疑陽性
8月、両側腎盂粘膜の採取と結石粉砕を目的とした手術
9月、病理診断は左腎盂癌

癌かもしれないと覚悟をしていた訳でもなく、正しくは無知な故の現実逃避を繰り返していた。

主治医に、ステージも原因もリスクも知らされないまま、左腎尿管を全摘すると言われる。尿路上皮癌は多発し易く、一般的な治療法である。インターネットのジャンクな情報からは、何が正しいのかを判断するには難しく、主治医とのコミュニケーションにも、相性が良くないと感じる出来事が起きる。

10月、セカンドオピニオン、癌ではないかも?

良い癌、ファーストステージ、結石がある腎盂粘膜生検の不確実性、29歳という年齢、人工透析のリスクを説明してもらい、プレパラートを再度、病理診断へ。

「左腎盂癌ではないね。ただ、前の病院ではそう診断された訳だから、11月に再度、左腎盂粘膜の採取を目的とした手術をしよう。もっと多くの細胞を採取して。」

患者には、治療法を選択出来る権利がある。癌と診断するのは病理であるが、病院や科の方針によって、それは違う場合がある。そして、納得がいかなければ、白黒どちらも疑い、信じられなくなる。

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あたたかく見守ってくれた会社の人たち、名古屋の仲間、友人、お医者さん、専門的な知見で何度もアドバイスをくれたSさん、そして家族。

感謝してもしきれません。

悔しくて、悲しくて、流した涙と経験は、多くの気付きと学びを与えてくれました。

人生は有限であり、だからこそ果たせるお役があると思います。

これからはもっと、仕事と生き様を通じて、未来のために、過去から学び、いまを生きます。

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