検察庁法改正問題への感想

法治国家を司る法務省なのにこの醜態は、世界中の笑い者でしかないが、批判している側の発想にも、昭和の名残り的なところがある。「戦後」の名残りというべきか。
明治憲法下で、司法省が司法行政全般を司り、司法権の独立は不徹底だった。それが新憲法下では最高裁判所が司法行政も司ることになり司法権の独立が徹底された。
その際、検察権は行政権の一環と位置付けられ、司法省から改組された法務省傘下でありつつ、司法権との密接性から、検察庁は「特別の機関」(単なる外局ではなく)とされ、具体的事件について法務大臣は検事総長しか指揮できず、検察官の身分保障も一般の国家公務員よりは手厚くされ、検察官の待遇も、一般の国家公務員より手厚くされた(1つの組織で10名も認証官がいる行政機関を超えるのは外務省くらいだろう)。
ただ、検察人事については、あくまで行政権の一環だから、身分保障はされつつも、人事権は法務大臣にあり、検察組織内の自律的なものが尊重されてきた、という、それが戦後から平成あたりまでの実態だった。
それが日本国憲法下、検察庁法において普遍的に正しいかは考慮を要するだろう。検察官への弁護士任官は、現状では皆無に近いが、例えば、検事正の三分の一くらいは弁護士任官にする、検事長8名のうち2名くらいは弁護士任官にする、検事総長も、三代中一人くらいは弁護士出身者にする(昭和20年代には弁護士出身の検事総長もいた)、といったことになれば、刑事司法の在り方もかなり変わるだろう。そういうことは、人事を検察組織の自律に委ねていてはあり得ないことで、行政権の大胆な行使で刷新するしかないものではある。
警察の言いなりで捜査するな、再審開始決定に無駄な即時抗告をするな、等々、現状の検察権行使に、弁護士会からは批判が根強い。仲間内で人事を決めて回しているから政治に介入されず独立です、で本当に良いのだろうか。もっと大胆に切り込んで刷新しなければ、いつまで経っても同じことの繰り返しになる。
結局、現在展開されているのは、政権側が、検察組織の自律に委ねられすぎた人事に、影響力を反映させられるクサビを打ち込もうとする動きに対し、反アベ勢力が抵抗するという、単なる政争で、検察人事の適正な在り方という視点は欠落している。弁護士会は昔から法曹一元を提唱しているが、官僚化した検察組織を、人事を通じて刷新するには、行政権が大胆に「介入」しないと刷新はできない。要するに、関係者が、戦後の検察の在り方を引きずりながら、コップの中で争っているということだろう。劣化した国というのはこういうものだと感じるものがある。

サポートしていただいた場合、書籍購入費用(毎月、最低3万円は本や雑誌を買います)の一部として使わせていただきます!