献血のポスターについてはスルーしたのに、なんでタカラトミーとアツギの炎上には心がざわつくのか(1)

Twitterについて書くのをやめると言いながら、ニュースサイトでタカラトミー、アツギの炎上のニュースを見て、どうしてそんなに問題になっているのだろうと覗いてしまった。
その結果、私は両社の公式アカウントでなされた発言や企画に、自分でも思わぬほどショックを受けてしまった。そしてそのツイートにつけられたリプライにも。

特にアツギについての炎上を見ると、非常に乱暴に言えば、声を上げる人たちによってオタク対フェミニストという構図を自分たちで作り上げ、お互いに相手をオタク・フェミニストと決めつけて争いになっている。
ここで前提。私がフェミニストなのか、ということについて、私自身も分からない。フェミニズムについてきちんと学んだこともないので、勝手にフェミニストであるとか、フェミニストではないとか名乗るのはおこがましいと思ってる。
ただ、若い頃は満員電車に乗っているとスカートに手を突っ込まれたり、部活の男性の先輩にお尻を触られたりとそれなりに嫌な思いはした。そういうのはなくなってほしい。
基本的には「男女の性差はある。それを認めた上で相手を尊重し、お互いの長所を生かして、短所を補っていける関係がいい」と思っている。
では私はオタクか、となると多分それも違うなあと思う。一時期二次創作を作ったこともあるけれど、でもやめてしまったし。アツギのイラストレーターについては一人も存じ上げなかった。

この話題は、もしかしたら「今更蒸し返さなくても」と思う人もいるかもしれない。でも私は自分の気持をきちんと整理したいし、問題の本質としては、一定期間がすぎればもう考えなくていい、というものだとは思わない。

そして題名に戻るけれど、私は献血のポスターについては特になんとも思わなかった。
献血に来てほしいのが「若い、元気な男性」だろうと思ったからだ。献血をしたら、その人から血は一時的に減るわけで、それは体調不良を招きかねない。
そうしたら、毎月生理で血を流すこともない、新陳代謝が活発で、食欲旺盛で、すぐに体内で血を作れそうな若い男性が献血したほうが、誰にとってもベターな選択だろう(別に私は女性は献血しないほうがいいなんて一言も言っていない。念の為)。つまり、献血で必要とする人材(?)とポスターがひきつけたい人々は一致する。

しかし、タカラトミーとアツギのツイートや企画には、「なんで企業のアカウントでこんなこと言っちゃう(やっちゃう)の?!」とまずあっけに取られ、徐々に不愉快になってきた。

どうしてこんなに不愉快になるのだろう、と関連記事や色んな人の意見を読み漁り、そのもととなった公式アカウントによる謝罪ツイートにつけられたリプライにあらゆる意味で驚き、で私はどう思うのかと考えて、考えて、結局私はこれには

個人的な感情「自分たちの仲間だと思っていたのに」という完全に、私の印象による怒り

と、

企業としてそれはどうなのか、と感情をできるだけ抜きにして考えた挙げ句「マーケティングとして失敗しているだろう」という、「一企業としてそんな意識でいいのか」という、呆れ

という、大きく分けて2つの気持ちがあるな、という結論にいたった。これは今のところで、また今後考え続けるうちに変わってくるかもしれない。

この問題は個人的に考えたいので、勝手にシリーズ化して書く。今回は最初の「私の気持ち」について。

リカちゃん人形は、子どものころ遊んで、人形の髪をきちんととかし、自分で服を考えて縫ったり、布団を作ったり、ビーズでネックレスを作ったりもした。買ってはもらえなかったけれど、リカちゃんの台所とかほしいなあと思っていた。子どもの日常の一部を作っていた。

タイツは、暑がりの子どもの時代を過ぎた頃から冬の防寒には欠かせないものとなった。つまりは日常品である。各社が暖かさや丈夫さ、デニールや色などにこだわって様々な種類を出してくれるのを歓迎している。

そんな日常のものに、ある日突然、その製品を作っている会社から、こっちの感覚では思いつきもしなかった「男性視線」が不意打ちすぎて、驚いてしまったのだ。

お人形遊びを楽しみたい子のために(女子でも男子でも)、お姉さんのようなお人形を作っていると思っていた。
寒さやシーンに合わせて、いろいろなタイツを作っているのだと思っていた。

私は本当に、それらのものが性的に見られる可能性があるなんて、平和にも全く、少しも思っていなかったのだ。
しかも製造している会社がアピールしている。

そんなふうに見られることがあるんだ、という愕然とした気持ちが本当に強い。

そういうのは、隠れてやってほしかった。

子ども用の人形やタイツに対して性的な視線を持つな、と他人には言えない。

だけど、見たほうが嫌だ、と思う権利もあるのだ。私が嫌だと思う権利は誰にも止められないものだと思っている。(続)

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