映像作品と原作 〜原作厨の戯言2〜


戯言2ですー。戯言1ではメディアミックスの相性について話したので今度は大人の事情でも...

原作改変〜大人の事情〜

原作が改変されてしまう事例は実写映画では特によくあります。戯言1でも触れた通り実写の低い自由度を遥かに超えた描写が要求される場合であったり、映画の続編の見込みがないため1作品で終わらせるように話を作るためであったり。そうした大人の事情もありますが、それとは異なり、原作好きからしたら溜まったもんじゃない大人の事情もあります。

例えば、1998年公開の『GODZILLA』です。この作品は日本の特撮映画のキャラクター『ゴジラ』がハリウッドで映画化されたもので発表当時は世界的に取り上げられたそうです。映画としては成功した部類に入りますが、『ゴジラ映画』としてみた場合、酷評されるものでした。第19回ゴールデンラズベリー賞では最低リメイク賞、アメリカのファンの中には登場するゴジラを"Godzilla In Name Only"="ゴジラとは名ばかりなり"を略してGINOと呼ぶ人もいるといえば察していただけるでしょうか。(ゴジラ映画としてみなければ素晴らしいモンスターパニックものです。)
何が悪かったのかというと単純に『ゴジラの立ち位置』だったのではないかと思います。日本のゴジラ映画ではゴジラは『主役であり驚異的な存在』である一方でこの映画では『人間が乗り越える存在』といった扱いであった為、原作ファンとの意識の乖離が見られました。監督も『日本のゴジラファンが自分の作品を観たら不愉快に感じるだろう』とするほどかけ離れているものになってしまいましたがこれはそもそもの理由があります。制作会社が『ゴジラの権利を買ったら東宝側に制作権はなくなる』といったかなり強気な交渉を東宝に仕掛けたため、難航し最終的に『ゴジラは出演するだけ』+『モスラ、ラドン、キングギドラの3怪獣と、スタッフ、俳優の貸し出しはなし』という条件になりました。この時点で、東宝怪獣同士の戦いやノウハウの継承がなくなってしまいました。さらにプロデューサーが『当初は『原子怪獣現わる』や『水爆と深海の怪物』といった特撮映画をリメイクしようとしたが資金が出なかったため、ゴジラのネームバリューを借りた』という趣旨の発言もあるため、様々な大人の事情が絡んでいるようです。

こうした製作費獲得等の大人の事情から『原作と異なる作品』が生まれることもあるようです。

原作改変〜スタッフの話〜

さて、先ほどは大人の事情について書きましたが、今度は制作スタッフの話になります。実写作品の脚本や監督が原作のファンであるとは限りません。そのような場合、『ファンとして嬉しい描写』についての理解がないため押さえておかなければいけないポイントや変えてはいけないポイントが変更されることがあります。例えば、2009年の映画『DRAGONBALL EVOLUTION』ではかの鳥山先生の『『たぶんダメだろうな』と予想していたら本当にダメだった』をはじめとした酷評に次ぐ酷評の末脚本家の方が「ドラゴンボール・エボリューションは私にとって、とても大きな汚点となり、作品が世界中で罵られるのは辛い。』と語り、『私はドラゴンボールのファンではなかったのに、ギャラに目がくらみ、(ファンとしての)情熱も無いのに取り組んでも、良い作品どころか時には薄っぺらなゴミが出来てしまうことを学んだ。」と語っています。また、2017年〜2018年にかけて三部作が公開されたアニメ映画三部作『GODZILLA』でも、監督がゴジラの名前しか知らず、ゴジラについて知らない若いスタッフによる意見を出し新しいゴジラを目指した結果、ゴジラ映画としてはイマイチな作品になってしまっています。(SF作品としては個人的には好きです。)

原作と実写映画

いろいろ語ってきましたが、これは視点な問題ではないかと友人に指摘されました。曰く「『表現したい監督のための映画』なのか『利益や話題性を出したい製作者のための映画』なのか『原作ファンのための映画』なのかで違うんだから、『原作ファンのための映画ではない』というだけで酷評するのはおかしい」

確かにそうかもしれません。資本主義社会において利益を出すことも大事ですし、表現の場としての映画というのも大事です。しかし一方で、『この原作だから見に行きたい』と思った原作ファンが楽しめる作品を作成していただけると一ファンとしては嬉しい限りです。

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