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アメリカ横断鉄道の「ゴールデンスパイク記念活動」に参加し、作品提供とパフォーマンス

アメリカ大陸横断鉄道は、今から155年前の5月10日に、
東側から、西側からの鉄道はユタ州のオグデン駅で結ばれました。
これによって、アメリカ経済発展の大きな鍵となりました。
鉄道建設中、最後の難関部分は、
3千人以上(この工事で2千人亡くなった)華人の参加で成し遂げました。
しかし、祝典のときに華人の姿は一人もいません。

その歴史について:
戦争中の事で労働者は集まらず、工事は中断また中断。困り果てた会社は反対を押し切って、当時西海岸に大量に移住して来た中国人を採用した。
当時のアジア系移民の信頼度はゼロで仕事は雑用係だけでした。しかし彼らはすぐに器用に作業車を操り、岩盤を掘って周囲を驚かせました。
しかも白人以上に勤勉で従順。会社はサンフランシスコ中の3千人の中国人を集め、それでも足りず極東にまで募集の手を広げる始末。
会社の労働者の90%は中国人で占められるように成った。切り立った絶壁での爆薬を扱う危険な作業は中国人の独占場。冬のシエラネバダでは、雪崩に戦いながら、トンネル掘りに従事。
数千人の中国人の生命と引き替えに、線路は東へ進みました。彼らの賃金は当初1日1ドルでしたが、やがて1月35ドルまで上昇しました。
1869年の5月10日、東西から出発した2つの線路がユタ州ソルトレイク近郊のオグデンで連結した。この難工事を支えた中国人労働者の偉業を讃える声はかき消された。

今年は155周年として、ユタ州のオグデン駅スタジアムで記念活動を行われます。
私は副会長を務めるAACA(アジア文化芸術協会)も主催者として参加します。
私たちは主に展示作品の提供とオープニングセレモニーでのパフォーマンスをします。

その中で一つ特別な作品は、長さ20メートル近くの長い巻きものを私が書くことになります。
毎日数時間、数日を掛けて完成しました。
内容は、当時の歴史紹介とその後の影響、現在とこれからの展望です。

家のスペースでは広げられません
毎日少しづつ
書き終わった
原稿は「金釘協会」の責任者が書きました
最初は、このようにガラスケースで展示!”壊れるのは恐れるから”だそうです。
ユタ州の新聞に報道されました。
私が要求して、ようやく外に出しました!
真ん中は私の作、左側は長男、右側は次男の作。
自分の篆書
オープニングセレモニーで八卦掌の演武


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