実写版リトルマーメイド観てきた

リトルマーメイド実写版、良かったです。
とにかく海の映像が没入感やばい。2Dでこれなら3Dはもっと凄そう。
ぜひ色眼鏡無しで一度観てほしい。

エンタメ映画としても楽しいし美しい良い映画なんだけど、たぶん珍しい見方をしてみたので感想をまとめてみる。

以下ネタバレ注意。


一般的な見どころ

冒頭でセイレーン伝説の話が出てくるので、人魚は魔物として恐れられてるのがわかる。
アリエルの歌声にもほんの僅か不穏な雰囲気が混ざっていて、これは凄いなと思った。

象徴的なUnder the seaの場面では、ウミシダなどちょっとマイナーな海棲生物がたくさん出てきて面白かった。生き物好きならきっと楽しめるシーン。

ポリコレ要素?

ポリコレ的要素が無くはない…のか?
少なくとも、実写版アラジンほど強いメッセージ性はない。

アラジンはわざわざオリジナル曲を追加してまで強調していて、無理矢理感が否めなかったのだけど、リトルマーメイドは政治的メッセージはほとんど感じられない仕上がりになっていたと思う。

人魚側人間側ともに多様な人種、多様な文化を混ぜ合わせた架空の国を舞台にしているので、なにかと話題になっていたキャスティングも不自然さはまったくなかったし、この舞台背景が本作唯一にして最大のポリコレ的要素だと思う。

重要なのは、人間界も人魚界も、同じ国の中での多様性はすでに前提として描かれていること。それぞれの国の中に差別や格差は存在しない。
そして、別の種族への差別(というより無理解、拒絶)は、人間と人魚の双方に存在している。それを無理矢理に差別問題だと解釈すれば、そう見えなくもない…のだが、そもそもその分断が無いと物語が成立しないからなぁ。

とにかく、作中では理想的ダイバーシティ社会が当たり前の前提として描かれているので、鑑賞せずにポリコレだなんだと云々するのはちょっと違うかな、と思う。

主人公はエリック

そんなことよりも本作で強く印象に残ったのは、エリックにおける、内向きと外向きの男性性の葛藤。

いやディズニープリンセス映画なのであくまで主役はアリエルなんだけど、どれだけトリトンが頑固だろうとアリエルは基本的に自由奔放なんで、エリックの不自由さの方が際立つのだ。

母王セリーナがエリックに求める内向きの男性性(庇護、責任、義務)の象徴としてのトリトン、外向きの男性性(冒険、好奇、自由)の象徴としてのアリエル。
人魚親子の確執はそのまま、エリックの内面の葛藤を表しているように取れる。

さらに男性性のダークサイド、支配欲や攻撃性がアースラに仮託されていたと考えると、なかなかどうして、夢を追う少年が紆余曲折の果てに情熱を持ちつつも責任ある男に成長する話として見ることができる。

たしか元のアニメ映画版では、エリックはただのイケメン王子様としか描かれていなかったのではないか。
実写版ストーリーのエリックはただのイケメンボンボンではない。複雑な出自を抱え、将来負わなければいけない責務と抑えきれない夢の間で葛藤する生々しい青年として描かれている。

彼が航海に出たい理由は、アリエルが人間になりたい理由よりも具体的で確固たるものとして描かれており、それが確かにこの映画をエリックの物語にしているように思う。

一時アースラに誑かされるのも、夢と情熱を捨て、無自覚的な支配欲と暴力を孕んだまま、母王の求める保守的な王座へ傾いてしまうメタファーにも取れる。

閉塞的な世界で旧来の男性性を求められるもより広い世界と繋がることを希求するエリックが、自由と冒険の象徴たるアリエルと出会い愛を知ることで、それまでの我儘な好奇心ではなく彼なりに国を背負うやり方として船出をしていく(愛とは責任である)。

ラストの船出が、臆病な親世代と無鉄砲な子どもたちのアウフヘーベンであることは、アリエルがコーラルムーンには帰ると言ったり、大切な人魚像を「預ける」と言っていることからも読み取れる。
責任を果たして、もしくは果たしに、必ず戻るという約束の言葉だ。
エリックも母王と似たようなやりとりをしていた。

もちろんこの成長はアリエルにも当てはまるのだけど、なにせアリエルが冒険に出たい理由がどうにも曖昧で、成長ストーリーの必然性としてはエリックの方が高いんだよな。だから自然とエリックの成長にフォーカスしてしまう。

似たような境遇のアリエルとエリックだけど、アリエルは最初から最後まで天真爛漫、自由闊達なヒロインというのは変わらない。
エリックは船上では聞かん坊(但しリーダーシップはあり勇敢)だし、城に戻れば不信心で反抗的だし、かと思えば惚れた相手が見つからなくてしょげたり…とまあ青臭いのだ。それが終盤に向けて、冒険を国益に繋げるべく船出する、野心ある若い王になっていく。

なんで成長したとわかるのかといえば、親二人の態度だ。
トリトンとセリーナふたりとも大きな責任を背負っている王であり、相手がその責任を負える器でなければ庇護の対象とするだろう(当然序盤ではそうだった)に、アリエルとエリックの船出を後押し(トリトンは物理的にも笑)し、いずれ次代を託そうとしているからだ。
いくら世襲でも、結婚したからだけでそんなことをするような暢気な王たちとは思えない。
次代を担える成長を認めたからこその、ラストシーンでの見送りなのだと思う。

最後に、いくら実写版とはいえ、セバスチャンとフランダーはもうちょっと可愛くできなかったのかと思う。十分コミカルなんだけど、ニモとまではいかなくても…うーん笑

というわけで、たぶんこんな着眼点で観る人は多くないだろうけれど、エリックの物語に注目して観ても案外面白いよ、という話でした。

別に難しいこと考えなくても普通に楽しめる映画なんで、未鑑賞の方はぜひ劇場へ。私も近日中にもう一度行ってきます。

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