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ラスト・ダンス

こんばんは。

Tverを使って、古畑任三郎シリーズの最終話、田村正和さんと、松嶋菜々子さんとの攻防を堪能しました!

リアルタイムで観ることができませんでしたので、とても嬉しかったです!

刑事ドラマ大好きっ子のわたしとしては、早々に「とりかえばや」のことは分かってしまいましたけれど、松嶋菜々子さんの好演で、本当に二人の人間が存在しているようなリアリティが、そして最後の悲しみが、本当にズシンと胸に響くドラマでした(>_<)

このシリーズは、刑事コロンボと同じで、犯人が最初から分かっているけれど、トリックはどうだったでしょうか? というところを、古畑と一緒になって考えるところが、面白いところなんだと思います(-ω-)/

だけれど、この最終回の「ラスト・ダンス」は、犯人も、トリックも、すべて最初から分かっちゃっているんだけど、だけど、大切な自分の妹を、手にかけてしまうほどの深い悲しみとは何だったのか! その「心の内」に迫るのが、実際の見どころだったように思います(*‘ω‘ *)

いつもはキャラクターの濃い、今泉さんとチンチクリンが登場するのですけれど、この回は、田村さんと松嶋さんのダンスで終わっていく。艶のある、最後の幕引きも、本当に味わい深いものでした( *´艸`)

同時に、二人の松嶋菜々子さんが、ひとりの「加賀美京子」となって、その片割れを壊してしまう物語は、鏡を壊せば、映った自分も粉々に砕けてしまうという暗示とともに、どちらが「鏡に映った虚像」であったとしても、結局は悲劇的な結末を迎えてしまうという、大きな比喩であったようにも思うところでした(*´Д`)

この場合、「加賀美京子」は、どちらを失っても、どちらも成り立たなくなってしまうわけですけれども、やはり犯人の職業が「脚本家」だっただけに三谷幸喜さんご本人に重ねてしまうところもありました。

三谷さんも、どこかで鏡に映った自分と対話しつつ、この名作、古畑任三郎をおつくりになったのだと思います(´-ω-`)

妹をあやめてしまったがゆえに、鏡に映った自分も壊れてしまった姉。鏡のない世界では、どんなに妹のマネをしたところで、姉であることを隠して生きることは出来ません。けれども、リアルを生きる三谷さんは、三谷さんであることから逃れることが出来ません。

ある意味で「古畑任三郎の三谷幸喜」である自分自身に、ダンスの終わりのように一端の区切りをつける。それを、ご自身の分身である古畑任三郎に託して、田村正和さんに演じてもらった。

結局は、三谷幸喜さんも、不器用な踊り方しか出来ない、ということなのかもしれません。

三谷さんは、田村正和さんにしか出来ないとして、刑事ドラマの出演を断ってきた田村さんを口説いたのだそうです。そんな田村さんが逝去された今、もう永遠に古畑任三郎は、テレビの中に帰ってくることはありません。

5Gどころか、20Gぐらいになったら、これまでの古畑任三郎シリーズのデータを「AIに食わせて」、超絶リアルな現実並みに復元したり、あらたな脚本での「復活」があるのかもしれません。

それでも、そこには、「ラスト・ダンス」のラストに見たような、田村正和さんのぬくもりある優しい手や、松嶋菜々子さんの涙、心のひだを撫でるような、生きている役者同士の、駆け引きや遊び心を含んだ響き合いは、きっと再現されることはないでしょう。

田村正和さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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