【逃げは卑怯か?】切り替えの重要性と嫌悪感の正体

一度会社に入ったら3年は続けろ

この言葉を、皆さんどこかで一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。

この言葉には、本音と建前の二つの意味が含まれているように私は思う。

まずは建前の意味。それは、何か一つのことをある程度のレベルまでやらないのはもったいない。何も身につかずに終わってしまう。

ここだけ見れば、他人のためを思ったとても心優しい発言に聞こえるだろう。

しかし、本音の部分、すなわち実際に思っていることは違うと考える。

なんでお前は責任もなく逃げ出せるんだ。俺はちゃんと逃げずにやってる。許せない。

こんなところだろう。

実際、私もこのように感じることがないとは言い切れない。

しかし最近になって考えを改める機会に遭遇した。それは、高校時代からの友人と話している時だった。

その友人は非常に賢く、高校でも成績はトップクラス。その後、有名私立大学にストレートで合格し、今となっては珍しくないかもしれないが、なんと在学中に起業までし始めた。

私はそんな優秀な彼を、いつも羨望と憧れ、そして少しの嫉妬を含む眼差しで見つめていた。

そんなに優秀なことがあっていいのか

と。

彼は努力を一切表に出さない質で、ありていに言えば天才肌だった。テスト勉強もろくにしている様子もなければ、授業をまじめに聞いている様子もない。そのうえ、部活では中学三年の春休みから高校生に交じってラグビー部に体験入部を済ましている。そして、ちゃんと入学後はレギュラーだ。

要領がいいこともさることながら、努力というものの基準がそもそも違うということに、高校卒業して話している時に気がついた。

そんな彼は、何事においても優秀で、そして不真面目だった。

なぜ、これほど不真面目な側面が多分にあるにもかかわらず、彼はこんなにも優秀なのだろうか。

そしてその疑問は、あっけなく解消された。

やりたいことをやっているだけ。

そう彼は答えた。さらに続けて、

しんどいこと、自分に向いていないこと、こういったことは続けるだけ無駄。それが他人にとってどれだけ価値があろうとも、自分にはまったくの無価値。

こう答えたのである。この話を聞いて私は驚きすぎて15秒ほど息をするのを忘れていた。

なるほど。逃げも行動力の一つか。私はそう思った。

彼は見切りをつけるのが抜群にうまかったのだ。自分のことを誰よりも知っていたのだ。今の自分には何が合っていて、何が必要なのかということを。

そして彼は世間体を気にしない。世の中、バイトをやめることですら躊躇する人がいる中で、彼はあらゆることに躊躇しない。

普通の人間であれば、やりたくないけどやらなければいけない。やめたいけど続けなければいけない。この世間体との板挟みでもがき苦しむことが多いだろう。

しかし、そんな板挟みが一番自分にとって悪影響であると彼は昔から知っていたのだ。

そこから逃げ出す行動力、それこそが彼の強みなのだと確信した。

もちろん、ただすべてから逃げ出すだけではだめで、反対に、好きなこと、やりたいことに対しての行動力もとも伴わねばならない。でなければただの何もしない人間になってしまう。

しかし、私を含め現代人の多くは、その板挟みから抜け出せるほどの行動力を持っていない。言い換えれば、たとえ好きなことをやっていたとしても、それをとことん突き詰めるだけの行動力も持っていないということだ。

この逃げる力と好きなモノへの熱中心は表裏一体なのである。

そして、現代人が逃げ出す力を持っている人に強く当たってしまうのは、ある種の嫉妬心からくるものではないだろうか。

本当は自分も逃げ出したい。苦痛で仕方がないことを毎日続けている。なのにあいつは簡単に逃げやがる。羨ましい。

こんなところである。

ある意味常人では持ちえない力。それが逃避力なのである。


以上、本日私が現実逃避をしたいと考えながら思いついた垂れ流しでございました。

私も彼に近づくために、この記事に批判が来る前に逃避したいと思います。好きなこととに熱中することが大事らしいので、ウマ娘でもやろうかと思います。

それではまた。

ご精読ありがとうございました('Д')

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