背中合わせの関係性

Ayaseさんのボカロ新曲「シネマ」を初聞きして、感じざるを得なかったのが、ikuraさんの不在感、もしくは存在感だった。思考力を働かせることなく感性のみで聞きながら、意識に上ってきた思いは以下のような順番だった。良い曲だな、Ayase節だな、ikuraさんの歌唱で聞いてみたいな、ikuraさんだったらどんな風に歌うんだろう・・・。

そこはいちおうのエクスキューズということで、少なくとも私にとって、初音ミクの声はスムースに心に染みては来ない。あらためて意識してかからないと歌詞に込められた思いには容易に気づけない。何回か聞き込んでから、おもむろに意識して歌詞を眺めてみて、ちょっと驚いた。これって面映ゆいまでにストレートなAyaseさんの思いのまんまじゃないの。

もちろん人の内心なんか他人に分かるものではないし、立ち入るべきでないのも分かっているつもり。それでもここまであからさまに心の内を曝け出されてしまうと、なんか反応せざるをえない気持ちにさせられてしまう。この歌詞で語られていることは、そのまんま "ROCKIN'ON JAPAN 2021 5" の2万字インタビューで語られていたことと重なる。とともに、ikuraさんが "CLUB YOASOBI" の "NIGHT ESSAY" 2回目「ユニットであること」で語っていたことのきれいな裏返しでもある。

お二人の関係性については、どうしても ANNX でのなんとも楽しくも微笑ましい丁々発止に吸着されてしまいがちになる。あれを聞いていると、お二人の素晴らしい人間性と相互理解と信頼が伝わってきて、ついつい近所のお節介おばさん(死語)であるかのような気分にさせられてしまう。

けれどもそうではないんだ、それどころではないんだ、そんな認識へと引きずり戻されずにはいられなかった。Ayaseさんが "ROCKIN'ON JAPAN 2021 5" で語った言葉「今世界でいちばん愛おしいし、憎い存在」「幾田りらという才能が世に羽ばたいていっただけじゃ終われない」という言葉の重さ、切実さに、あらためて気づかされた感じというか。

時まさに幾田りらさんが、声優という新たな挑戦へと向かったことが発表されたタイミング。ikuraさんが「ユニットであること」で語っていた「どこまでいっても私たちは個で、二つが一つになることはない」という言葉の重みを図りかねていたんだけど、そこは針を振り切っての最大限に受け取らなければいけないのかも知れない。

それでも敢えて書いておきたいこと。「デタラメなシナリオ」を与えられた幸運に祝福あれ。


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