yhkondoツイッターのスレッド一覧(3)
yhkondoツイッターではいろいろな日本語に関する話題をツイートしています。このノートでは、スレッドのエントリーをリストアップしておきます。それぞれをクリックすると、当該スレッド全体が表示されます。
小学校のプログラミング教育……アンプラグド(電源要らず)の教材
先日も触れたが、小学校でプログラミング教育という話がある。忙しい現場には迷惑な話だと思うが、理論的にはなかなか面白い問題が含まれている。ひとつ、言えることは、小学校のプログラミングと一番関係ある教科は実は算数や理科ではなく、国語だということだ。その理由をここで少し書いてみたい。
— yhkondo (@yhkondo) March 28, 2019
このスレッドで触れた兼宗先生のドリルの、旗で人形を動かす問題を、Scratch言語で表現してみました。ほぼ問題そのままなのですぐに誰でも動かせると思います。人形は、青山学院大学の伊藤一成先生のピクトグラミングで作図しました。ありがとうございます。https://t.co/rRYQBBfmhl
— yhkondo (@yhkondo) March 29, 2019
桜と政治権力とイデオロギー …… 文学におけるステレオタイプ
「花と言えば桜」だが、この発想がもともと日本人にあったわけではない。その観念の始めは平安時代。行事として初めて花見をした嵯峨天皇、そして、それを受けて『万葉集』まではマイナーな歌ことばだった「桜」を圧倒的なメジャー素材とした勅撰集の『古今集』の力が大きかったことは疑いない。#桜
— yhkondo (@yhkondo) March 31, 2019
「令和」と、国民文学としての『万葉集』
首相が、「令和」について「人々が美しく心を寄せ合う」という説明をしているそうだが、明治政府による「国民文学」の構築の方法をなぞるものだろう。明治時代の「万葉集」の構築史研究には、品田悦一氏の名著「万葉集の発明―国民国家と文化装置としての古典 」がある。https://t.co/YwGZA6DBj9
— yhkondo (@yhkondo) April 1, 2019
古今集と桜と政治権力のツイートをした後に、まさか、首相が万葉集と梅見の演説をするのを見るとは思わなかった。首相が「国民文学論」をぶって #古典は本当に必要なのか の問いを一日で吹き飛ばした感がある。文学と政治との関わりをこれだけ明確に見せた例もまれで、文学研究史に残るものだと思う。
— yhkondo (@yhkondo) April 2, 2019
「万葉仮名」の原理は中国で発明された
この発言に反論のリプがたくさんついているので、その驥尾に付して。^^ 表音文字の「万葉漢字(仮名)」の原理は、中国で発明されたものですよね?漢訳のお経の固有名詞の「阿弥陀」「陀羅尼」とかは、音訳字を用いた外国語の表記。このやり方が朝鮮半島を経由して日本にも、もたらされたわけです。 https://t.co/uAtGrQuXHH
— yhkondo (@yhkondo) April 3, 2019
主語のない文章をめぐって
わかりやすい日本語を書くという前のツイートで、いろいろと面白いことを教えていただいたが、私としては、「AIにわかりやすくする」というところにまだこだわりがある。そのこだわりを少し書いて見たい。次の文をご覧ください。近くの団地の庭の掲示。
— yhkondo (@yhkondo) April 6, 2019
「犬を連れての立ち入りはお断りします」
「主語・述語が整っていない文はわかりにくい」という主張をよく聞きますが、誤りだと思います。整っていてわかりやすい文はもちろんありますが、その裏は必ずしも正しくないです。例をあげます。最近複数の方から、りんごくん@慧真舘さんのツイートがわかりやすく文章がうまいという話を聞きました。
— yhkondo (@yhkondo) April 7, 2019
英語と日本語の違いという面白いnoteが紹介してありました。中身は興味深いし、同感することが多いのですが、1点だけ、気になったことがあります。スレッドで続けるので、まずはnoteを読んでください。https://t.co/lyphZ8Ydtw
— yhkondo (@yhkondo) April 12, 2019
動詞の活用記述には別のやり方がある。
「動詞の活用」は学校文法の基礎ですが、それがもしかしてぜんぜん間違っていたとしたら大変ですよね。今日はその話を書いてみます。現代語を例にしますが、古典語も基本は同じですので、後で触れます。動詞の活用の種類は、メインは、五段活用と一段活用に分かれますから、「切る・着る」で考えます。
— yhkondo (@yhkondo) April 18, 2019
「行く」と「来る」はなぜ敬語になると「いらっしゃる」で一括されるのか。
私には敬語に関するあるひとつの疑問があった。それは、「行く」と「来る」はなぜ敬語になると、区別がなくなってしまうか?というものだ。例えば、「行く」を尊敬語で言うと、「行かれる」とも言うが、「いらっしゃる」あるいは「おいでになる」が普通だ。
— yhkondo (@yhkondo) April 27, 2019
「行く・来る」の区別が敬語で消えるということについて、いろいろなご意見ありがとうございます。私の言い方の足りなかった所だけでなく、新しい知見を教えていただき感謝です。以下、まずはそれにお答えしてツイートします。(元スレエントリーは以下のもの) https://t.co/Bfhv7D90oX
— yhkondo (@yhkondo) April 28, 2019
片仮名のルーツは新羅ですか?
なぜか今になって2013年のニュースの「カタカナの起源は新羅」という話が蒸し返されて、ネットで批判されています。専門家が誰も発言していないようなので、ちょっと書いてみます。(私は、若い頃はずっと訓点語研究をしていて、学会の委員もやっていたので、一応かなりの専門家です。)
— yhkondo (@yhkondo) April 30, 2019
「平成天皇」と言ってはいけないのですか。
「平成天皇」とか「令和天皇」とか言ってはいけないとか、かまわないとかいろいろな話がTLに見られます。どっちがいいか迷う話なので、一応まとめてみます。まずこういう呼び方は「諡(おくりな)」「諡号(しごう)」「追号(ついごう)」と言う、でいいでしょう。
— yhkondo (@yhkondo) May 4, 2019
女性語には命令形がない?
「女性語と命令形」というのは、次のような話である。二つのちょっと違う意見がまずあるので、それをご紹介しよう。最初は発端となった方で、日本語の命令表現の構造には女性差別が内在するという見方。https://t.co/MMb4wrocT4
— yhkondo (@yhkondo) May 6, 2019
命令形とジェンダー性についていろいろな有益なリプをいただいていて感謝ですが、下のリプライについて一言書きます。「やめろ」という命令形は男性も使えないので、性差というより、一種の位相語(年齢とか、親疎とか、いろいろな要素)としてとらえることが可能ではないかという見方です。 https://t.co/YSHSv8y4Nm
— yhkondo (@yhkondo) May 8, 2019
酒船石の起源
古代の香りの天皇即位の時、ひとつ、面白い話題を。それは、明日香村の「酒船石」は何か?ということです。それを、言語の専門家の立場から解明するという作業。ぜひ、専門の方のご意見もいただきたいと思います。まず、酒船石の写真から。https://t.co/aIAPjvUQPQ
— yhkondo (@yhkondo) May 2, 2019
読んでいただきありがとうございます。ツイートなどしていただけるとうれしいです。