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養命酒の記憶

私は、養命酒をお湯で割って飲むのが好きだ。
もちろんちゃんと1日の規定量の範囲で。

私の中で養命酒は祖父の思い出に直結している。
祖父は毎晩養命酒を飲んでいて、幼い頃からご相伴に預かったものだ。
もちろん、当時の私はアルコールが含まれる認識がなかった。
大人になってパッケージを見てびっくりした。
冷静に考えれば「酒って書いてあるじゃん!」って話ですが、健康とアルコールが結びついていなかった。

まぁ、それは、それでいいとして(いいのか?)

私が小学生の頃の部屋割りが
父、母で1部屋、祖父、弟、私で1部屋だった。
田舎の家なので部屋数は多いのだが、中学生になるまでは一緒だった。

同じ部屋で、夜に養命酒を飲む祖父は面白半分だったのかもしれないが、お裾分けをくれた。
毎年、しもやけを作るくらい末端が冷える私を心配してくれていたのかもしれない。(しもやけは裸足教育の影響)
私は、アルコールが含まれることを知らずに飲んだ養命酒がほのかに甘くて気に入ってしまったのだ。祖父もびっくりしたことであろう。
流石に毎晩ではないが、時々、お湯で割ったものを一口、二口。

祖父は私が中学2年生の頃に亡くなったので、だんだん記憶が薄れていく。
残念ながら、声はもう思い出せない。
癇癪持ちなのに孫には甘い祖父。
養命酒を見ると、その時使っていたグラスも、部屋にあった家具も思い出せるのに、少しずつ顔が曖昧になってきた。
思い出す機会はたくさんあったはずなんだけど、今思い出せる顔は遺影の顔だけなのである。

寝る前にお湯割りのお湯を沸かしているときに、記憶が薄くなっていることに気づき、少し寂しくなるのだ。

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