趣味と特技とコンプレックスと。
恥の多い生涯を送って来ました。
人間失格の冒頭…私の場合は「中途半端に無様な」に置き換わるのだろうか。
今でも(自分で言えるほどの)特技かどうかは疑問が残るけど
長いこと習って、それなりである事も
認められず(自分の中での挫折が消化できず)
これ以上、上達するのは無理と判断したものは
特技ではない
だから、趣味とは言ってはいけない
だから、好きだなんて言ってはいけない
呪縛のように20年以上を過ごしてきました。
今年から書道教室に通い免罪符を得ました。
上手とか下手となそんなんの関係なく
「わざわざ習っているのだから趣味って言ってもいいでしょ?」である。
拗れたままだけど、それでも自分で自分を否定せずに生きていられて楽になった。
それなりに肯定されながら生きてたはずなんだけど、「才能がない、食っていけない」と自分自身で実感した時に、自分には何も残っていない感じがして。好きだったことすら、自分にはできないものというレッテルを貼られたようで、ずっとコンプレックスだった。
褒められても、ありがとうとも言えず、そんなことないんですよと。(せっかく褒めてくれたのに会話が続かないw)
字は財産、絵は潤い。それでいい。
無駄ではなかったし、食えなくてもリカバリできて生活して、趣味って言える時が来たから、良かったんだよ。
そんなに卑下しなくていいんだよ。
好きを拗らせるとコンプレックスになるんか。
憑き物が落ちたような心境で、今すごくびっくりしている。
ないものねだりの、いろんな中途半端。
ようやく消化が始まったんですかね。
免罪符(自分自身のハードルを下げる)も自分への許しになるんすね。
ま、20年ものの拗らせてなんで、そう思った自分を忘れて、またうじうじしそうな気がするので投稿しました。
20年寝かせた自分をコミコミで古い表現を使うと
まさに「記念かきこ」。
おやすみなさい。
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