『ケンとカズ』レビュー

 ヤクザの捌くドラッグの売買で稼ぐ二人組、ケンとカズ。昼は資金洗浄のために使われている車の修理を行う修理工として働く。ケンには妊娠した恋人がおり、今の仕事から手を洗い別の街で暮らすためのまとまった金が必要であった。一方のカズには認知症を患っている母親がおり彼女を施設に入れるためのまとまった金が必要。ただし、末端の売人として働く二人には大きな金を手に入れることができない。そこでカズは金欲しさに自分たちがドラッグを売っているシマを荒らす別ヤクザからもドラッグを仕入れ販売するという仁義に反した行動に出る。
 
 この作品についてバイオレンスな表現や乾いた雰囲気の映像から韓国映画っぽいという表現がいくつかのインタビューでも出ている。監督も韓国映画からインスピレーションを得ていることを公言しているようだ。映画の要素として近いのは『新しき世界』('14)なのではないだろうか。カズはチョン・チョンのような凶暴さであるし、ケンの動揺を隠す表情はジャソンの雰囲気に近い(藤堂から問いつめられるケンの表情は、警察の人間であることを疑われるシーンのジャソンを想起させる)。また、ジャソンとチョン・チョンの関係性、つまり凶暴なキャラクターに引っ張れるもう一人の主人公といった構図も似ている。
 とあるインタビューでは『息もできない』('10)に似ているという指摘があったが、もしこの映画と似ている点があるとすれば、あの映画のヤン・イクチュンの顔とカズ役の毎熊克也の顔から漂う、こいつに関わっても決していいことは起きないであろうという危険さだろう。そして、作品外のことまで含めるならば、本人は劇中の役柄とは遠く離れた人柄であるということも共通するしている(その辺りが『孤高の遠吠』とは異なる点である。孤高は登場人物が9割以上役柄と同じような生活を送っているのではないだろうか。)
 また、オープニングのハンマーを使って腕を砕く辺りの乾いた残虐さは韓国映画っぽいバイオレンスである。例えば、『オールド・ボーイ』('03)の紹介で出てくる写真はチェ・ミンシクがハンマーを持った写真であるし、『哀しき獣』('12)のミョン社長も後半ではハンマーを持っていたことからも韓国バイオレンス映画といえばハンマーというぐらいメジャーな武器である。話は若干ズレるが日本のバイオレンス映画はどうしても任侠映画が多いこともあり銃が多く登場する。銃での攻撃は基本的には当たれば死ぬし、当たりどころがよくても血だらけになるなどウェットな雰囲気になりやすい。しかし、打撃系の武器は鼻など血が出やすい箇所を除くと攻撃されても相手が内部に致命傷を負うだけで見た目に影響が出にくいため、観客が決着がついたなと納得する形に持っていくまでに陰惨な絵になりやすい。その点、『ケンとカズ』はハンマーを使って腕を一本折るものの、カズのやる気になればどこまでもやるぞという顔だけで勝負ありとなるために観客が引くことなく話に入り込めるのが良い点である。
 とここまで様々な作品名を挙げたように映画のルックスが邦画よりも韓国映画に近いことは間違いない。そして、そのことは決して悪いことではなく、むしろそのルックスの独特さがこの映画には圧倒的にプラスに働いている。
 
 では、もう一つ別の要素からこの作品を考えてみたい。この作品の宣伝文には「容赦なき衝撃のハード・ノワール」とある。なので、「ノワール」というジャンル的観点からこの映画を考えてみようと思う。ノワールというジャンルを「ファム・ファタール」に堕落、狂わされていく男たちを描いた作品とする。では、2人の主人公のファム・ファタールは誰になるのだろうか。カズにとってのファム・ファタールは自身の母親である。幼少期に母親からの虐待を受け殺したいほど憎んでいるにも関わらず、認知症を患いまともに会話も出来なくなった母親を自らの手で殺すことも出来ず、かといって無視することもできないカズは、母親を施設に入れることで距離を取るということが最善手であると判断する。そのためであれば、クスリを売るヤクザという組織のスジであったり、友人であるケンからの忠告等を全て聞き入れる必要がないものになるなど判断が狂っていってしまう。では、ケンの場合はどうなのかというと、性別等の組み合わせからは同棲しているサキになりそうなのだが、(ここがこの作品展開を捻れさせる原因でもあるのだが)カズこそが彼にとってのファム・ファタールなのである。むしろサキはケンを更生させる役割を担っているため、ケンは母親を施設に入れるための金を稼ぐためならばどんな危険な橋でも渡るカズと恋人であるサキの間でただただ引き裂かれるのである。この二人の間で揺らぎ踊らされ、そして運命の相手であるカズを選び続けているにも関わらず、感情による決定ではなく、自身の理性的な判断で行っているような表情をしているところが興味深い点である。この捻れた構図が捻じれに捻じれた結果、その反動がラストに爆発する。ネタバレになるので詳しくは書かないが、涙無くしては観ることはできない。 
 映画としてのルックス、キャラクターの関係性、ラストの爆発力とどれも素晴らしいクオリティの傑作である。これほどの作品がミニシアターでしか上映されていないことが本当に残念でならない。

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