24/3/7 雑文 本屋の思い出
今、家から一番近い本屋はプレハブである。
その本屋の名前には覚えがあり、昔同じ町に住んでいた頃には、商店街に店舗があった。10年くらい地元を離れていて戻ってきたら、裏通りのプレハブというか、コンテナというか、なんかそういう感じになっていた。
ちなみにもう一軒、同じくらいの距離の場所に本屋があって、そこは店舗がある。あるのだが、一度寄ったら想像以上の寂しさで(多くの人が想像する寂しさの数倍寂しいのではないか)、以来足を運んでいない。申し訳ない。
で、そのプレハブの本屋に、先日久しぶりに寄ったら、小さい女の子がおばあちゃんに連れられてやってきて、雑誌のふろくらしきものを、お店の人にたくさんもらって、帰っていった。
あの子にとって、この本屋は、行くと色々なおもちゃをもらえた場所として、思い出に残るのかもしれない。と思った。
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地元には、かつてはもう一軒本屋があった。そこは今お店をやめてしまい、建物を壊すでもなく、新しいお店が入るでもなく、ただシャッターが閉まっている。その近隣のお店もだいたいシャッターなので、どこがその本屋だったのか、時々わからなくなりそうになる。
家から一番近かったから、けっこう覚えている。小学生の頃、毎月買った少女漫画誌が、扉を入ってすぐのところにあった。発売日は3日だったけど、月が変わればだいたい置いていた。
今思えば、あの本屋では漫画の棚くらいしか見ないままだった。
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地元の本屋に比べると、祖父母の家の近くにあったY書店は大きかった。
1階が本屋で、2階にレンタルビデオのチェーンが入っていた。そのレンタルビデオ屋のマークを、Y書店でしか見たことがなかったので、あれはY書店のマークなのだと思っていた。
小さい頃、Y書店の1階で迷子になったことがある。と言っても自分が勝手に親を見失っただけで、今思えば、迷子などとご大層に言うほど店舗も広くなかった。レジの店員さんに親がいないと言ったら、たぶん店内放送で呼び出してくれた。たいして入り組んだお店でもなかったし、よくも家族とはぐれられたものだと思う。でも店員さんは優しかった。
Y書店の隅には文具が売っていて、その中にひっそりと、漫画原稿用紙や付けペン、スクリーントーンが置かれていた。
ある日突然それに気がつき、生まれて初めて、スクリーントーンを買った。たぶんグレーを2種類くらいと、何か柄物を1種類くらい。
小学校の高学年くらいだったと思う。漫画雑誌の投稿コーナーでしか聞いたことのなかったスクリーントーンが、こんな近くに存在するとは思わなかった。なんだか、手が届くとは夢にも思わなかったあこがれの世界と、自分の生きている世界とが、急につながったような気がした。スクリーントーンはちっともうまく使えなかったし、漫画原稿用紙はいつも墨汁で真っ黒に汚してばかりいたけれど。
Y書店は高校生くらいの時になくなった。レンタルビデオ屋もない。今はそのままのビルに中古バイク屋が入っている。
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今、一番近い本屋はプレハブだけれども、プレハブでもお店を開いてくれていることがありがたいと思う。もう一軒の店舗も、本屋でいてくれるのだからありがたい。どんなに小さくなっても、なくならないでいてくれることがありがたいと思う。
もうなくなった書店の棚、漫画や児童書以外の見ることのなかった棚を、見てみたかったと時々思う。思っても仕方がないのだけれど思う。
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この雑文を書きかけて、どうも湿っぽくなるのでやめていたら、本屋の支援についてのニュースが出てきた。なんだか自分の本屋の記憶とは、かけ離れた世界の話をされているような気がする。一応、首都から2時間弱の距離の土地、山梨県内と神奈川県内の記憶なのだけども。
それで書きかけの続きを書いてみたけれど、やっぱり湿っぽくなる。思い出話なのだから、そんなものかもしれない。
ないない言うだけの自分よりは、何かしら動きがある方が、よほど有益なのだろう。でも、かけ離れた世界の話では、この湿っぽさは取れそうにない。