夕空

2019/11/1 PEACE CARD 2019 東京展の話、など

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10/21から10/26までのあいだ、MAYA2での「PEACE CARD 2019 東京展」の原画展に参加しておりました。
noteでは会期後の報告のみとなりましておそれいります。
東京展webサイト→https://peacecard-tokyo.jimdo.com/
FBページ→https://www.facebook.com/events/539809420113643/

30年以上つづく「平和の絵はがき」の展覧会。
何度もみてきた展覧会の原画展に参加できるのには、緊張したりしましたが、とても感慨深いものがありました。

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山の絵のピースカードと、その原画を展示していただきました。
こちらの原画は会期中、ご購入のお申し込みをいただきました。
まことにありがたいことです。めったに原画が売れないことに定評があるもので。

会期中、たくさんご来場いただきまして、
そしてたくさんの方に、お世話になりまして、ありがとうございました。
こうして参加作家も来場者もにぎやかな展覧会に参加できたのも、
展覧会を通して絵や自分がたくさんのかたにお会いできたのも、
ギャラリーと、ピースカード運営のみなさまと参加作家のみなさまのおかげさまです。

平和のことを自由に考えて、話して、表現して、発信できる世の中であってほしいです。この先ずっと。

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先日の台風で、日本中たくさんの、わたしの好きな山や川のある場所が、
たくさんの被害に遭いました。
そこにある暮らしが氾濫や土砂崩れ、雨風にこわされてしまうのをみるたびに、どうしても心が痛みました。

自然のためばかりでなく、薄まっていくもの、なくなっていくものが増えていくのを、ずっとじわじわと感じています。
どんどん廃校になって減っていく学校。
話すひとがいなくなることば。
お神輿を担ぐ子供も、出店もどんどん少なくなるお祭り。
ほんの何十年前にはたくさんのひとがいたのに、住むひとがいなくなってしまった家。
くずれる土、くずれる橋、波がさらってしまう時間の重なり。
くよくよと悩んでいるだけの自分がそこにいないこと。

人は暮らす場所を選ぶことができる。
自分が自分でいられる場所に腰をすえるのがいちばんだと思う。
でも、便利だとか不便だとか、危ないとか安全だとか、遠いとか近いとか、美しいとか汚いとか、良いとか悪いとか好きだとか嫌いだとかでなく、
ただそこに暮らすということがあるのだ。

その場所に積み重なってきた、地面の厚みとか、人の営みとか、
大人が子どもの手を取り、子どもが大人の手を支えてきたこととか、
できればこの先も積み重なっていくことを想像していたい。

本当はこういうことは、もう二十年三十年歳をとってから感じるのでもいいのかもしれないし、
お前は結局そこにいないのだから何もわかっちゃいないのだ、という向きもあるでしょうし、実際自分でもそう思う節はあるし、
考えるだけ、描くだけではなんにもならない。
でも考えない、描かないというわけにもいかない。

いまはただ、おだやかな暮らしが戻りますように。
できるだけつづきますように。
それぞれの暮らす場所で。

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