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20/8/2 さんざっぱら応挙について喋る②

ヘッダー画像はまたも2019年春の東博です。
(旧明眼院、現東博応挙館の梅図襖)(今回は調べた)

タイトルが長すぎて恥ずかしくなったので削りました。
そんなことより、なぜ②を書き始めてしまったのでしょうか。読まなくていいというか、読まないほうがいい気がします。じゃあなんでnoteに書くんでしょうね。

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応挙先生の弟子でもなんでもないくせに、しれっと応挙を応挙先生と呼んでいる自分でありますが、
その経緯というか、呼びたくなった瞬間をわりと明確におぼえているので、その話から入りますね。
(江戸絵画の沼に引きずり込んだのがたまたま応挙の弟子=蘆雪だったというのもでかいんですけどね)

おそらく4、5年ほど前だったと思うのですが、
東博の常設に、応挙の昆虫写生帖が出ていたんです。で、みたんですよ。おっ!実物は初めてみるなあ、と思って、展示ケース覗き込んで。で、まじまじとみているうちに、

「お、応挙先生ーーーーーーーーー!!!!!!!!」

……と、なりました。以上。完。

話をすっ飛ばしすぎだ。
えーと、あの、虫のかたちを、瞬間を、生命力をみる目、それを生き生きと写しとる応挙先生の手、その目と手の力、がすごすぎるじゃないですか。いやすごいのわかってるんですけど、実物にあらためて相対したときに、そのすごっぷりが想像の遥か先を行くものだということを、容赦なく叩きつけられるというか。目で見て描けますかあんなの。虫生きてますよね。当時の写真ということばは真を写すという意味で、フォトグラフィーはない時代ですよね。応挙先生の目ってカメラだったのかな。
加えて、モチーフと自分の絵に向かう誠実な姿勢、その圧倒的すごさ。虫の名前とか形とか色とか、あの超絶美文字で丁寧にメモってあるのもいいですよね。最後のほうのページで、超丁寧に描いてあるゲジゲジのわきに「ゲヂゲヂ」(実際はあの繰り返しの縦線なんですけどPC横書きでどうやって出すんだ……)って超絶美文字で書いてあるとことか、めちゃくちゃ好きです(細かすぎて伝わらない円山応挙)応挙先生もゲジゲジのことゲジゲジって言ってたんだな……
昆虫写生帖は東博の画像検索サイトでもみられます。ご興味あればぜひ。

とどのつまり、そのときの敬服の念が「先生」という呼び方に化けてしまったのですけど、
前述のように私は弟子でもなんでもないので、何が先生やねんと思われる向きもあることと存じます。岸駒が聞いたら応瑞に門人帳見せてもらいに走っちゃうやつかもしれない。(※逸話)(※原在中が自分は応挙の門人じゃないって言ったら岸駒が応瑞のところに門人帳を見せてもらいに行ったって話)

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だから前置きが長い。

さて、先日の①で応挙先生とデッサンみたいな話して、今回また応挙先生とデッサンみたいな話がちょっと入りそうなんですけど、
繰り返しになりますが、西洋のデッサン的なことを江戸時代の応挙先生がしていたから(=西洋みたいだから)すごいのだ!という話をしたいのではないです。じゃあ何が言いたいのかと考えるに、ただ応挙先生の絵がおもしろいなあということなんじゃないでしょうか。すいません。本人もよくわかっていない。こんなことを喋ってどうするんでしょうか。

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先日、「日曜美術館」で雪松図をみていて、その白と黒の表現をみているうちに、
2016年、根津美術館の応挙展でみた、雲龍図のことを思い出しました。

雲龍図は、とても惹かれる絵で、
応挙先生の作品でどれが一番好きか、と訊かれたら、正直あれもこれもで選べないんですけど、
今までで一番時間をかけてみた絵はどれか、と訊かれたら、おそらくこの雲龍図です。
根津美の展示室で、立ったり座ったりしながら、たっぷりとじっくりとみました。いくらみていてもどきどきしました。
ちなみに蘆雪だと和歌山県立博物館でみた高山寺の朝顔に蛙図です。あっでも無量寺の龍虎図も長かったな。誰も訊いてねえ。

で、この、墨で描かれた雲の中に、墨で描かれた龍がうごめいて迫ってくる絵なわけですが、その迫真っぷりにどきどきしながらみていると、
龍の鱗やひげが、金泥で光っていることに、はっとするわけです。
そうか、鱗やひげが光っているから、こんなに迫ってくるのか。
そしてよくよくみれば、一番手前へ迫ってくる鱗の金を濃く、奥へ向かっていく鱗の金を薄くしている。応挙先生は、明らかに、わかっててやっている。強い光があたるところは手前にぐっと迫り、弱い光があたるところは少し奥まって見える、その光の効果を知っている。

この光の描き方を知ると、立体描写の感覚は、目が覚めたようにがらっと変わります。
江戸時代の洋風画の、あの、西洋から入ってきた絵を模写したりして、がんばって描くのだけどなんだかどうもうまくいかないもどかしさ(そこが愛おしくもあるのですが)、
あれは、影は見ているけど、光を見ていないということなのかもと、みていて思ったことがあります。
立体描写は、やっぱり陰影から入ります。いまの私たちがデッサンするときだってそうです。そうして暗いところをどんどん暗くすれば、明るいところが浮き上がってくるはずなのだけど、どうもうまくいかない。それは、影を足していく、足し算の意識に偏ってしまうためなのかなと思ったり。
ところが、光を見る、明るいところを明るくする、引き算の意識をすると、ぐっと迫るようなリアリティがでる。現代の私たちが、ハイライトに白をポンと置くような。ねりゴムや消しゴムでさっと色を抜くような。
この雲龍図の金の置き方は、それを知っている置き方だ。
その感覚を、自然の観察から得たのか、西洋画から得たのか、はたまた中国画など古画の学習から得たのか。
雲龍という伝統的モチーフに、形式化しない雲のうねりの表現、そしてこの光の感覚を盛り込むあたらしさ。

少し前の時代だったら、おそらく、全体に同じ濃さの金を入れるのではないかと思います。それも「光」には違いないですが、その表現もきっとおもしろいのですが、リアリティのある光、というのはそうではないと、応挙先生は知っていたのでしょう。
応挙先生よりも前に、日本に、この感覚を知った人はいたんだろうか。
2016年のこのときからぼんやり思っていますが、私が不勉強なために、未だに結論が出ていません。詰めの甘さ。

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で、なんで雪松図をみててそれを思い出すねん、というのは、
雪松図の、雪の白の残し方や、ほかには例えば鯉が滝登りをする絵の、滝の光の残し方とか、
そういう「白」や「光」の感覚が、もしかしたらその「引き算の意識」と繋がるんじゃないかなと思ったからですね。
描かない、色がない、という引き算が、絵のモチーフや、光と影や、臨場感を際立たせる。引き算がプラスにはたらく。人をあっと驚かせるような効果や、心地よさになる。
そのうえ、日本の絵には昔からとても大切な引き算、それは余白とか、余韻とか、隙とか、真行草の草とか、色が限られていることとかがあって、その引き算感覚も、応挙先生はしっかり持っている。
だから、迫真さのなかに、絵としてのよさがある。

これ書くのに、雲龍図を本でみましたけど、雲と龍と金と稲妻のほかに、岩と波もあしらわれています。
岩には応挙先生お得意の奥行きをしっかりもたせつつ、波には日本の昔ながらの造形感覚が息づき、それらが絵の中で調和しながら臨場感を出していて、こういうさりげないおもしろさに気付いてしまうと、のたうちまわってしまうんですよね……(気持ちだけ)
そして先日の京都の展覧会の絵を、SNSで追っていたのですが(図録はないけど作品撮影がほぼOKだったらしく、みに行った方がアップしたいろいろな絵をSNSでみられました。ありがたかった……)その中に、藤の花の掛軸があって、
これが、あの有名どころの藤花図屏風のように、藤の花と葉はしっかりと繊細に描かれながら、枝はするりっと筆のタッチで描かれていて、花の繊細な美しさと枝ののびのびとした対比が、すごく気持ちよくて、
ああ、やっぱこれだなあと、うれしくなりました。スマホの画面越しに。

応挙先生の若い頃、まだ応挙という名前になっていない頃の水墨画などは、
わりと引き算の良さや志向が強かったりして(もしかしたら教える側の志向なのかもしれないが)、筆を走らせたり、墨が弾けたり、応挙先生もこんなことしてるんだなあ!と思ったり、私はこの頃の絵も好きです。
歳を重ねて応挙先生になってからも、ラフなところはラフに描いたりして、それが情感やいとおしさを醸し出したりしていて、その塩梅もたのしい。仔犬スタイルが出来てからのころっとした輪郭線もそうだと思うし、初日の出図とかもとても好きです。
でもやっぱり、写生図や、龍のリアリティや、藤の花の繊細さに相対したときに、先生……と頭を垂れてしまう。
わりとそういう体験は、実物の作品と向き合って、生の力を浴びたときが多いような気がするので、はやく実物を気軽にみにいきたいですねえ。

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ある人が応挙先生の肖像画をみたときに、えっなんかイメージと違う!と言ったのを、やたら鮮明に記憶しているのですが、
かく言う私も最初は意外で、あれ、意外に思う人ってわりといるんじゃないでしょうか。
えっ、あんなまじめな絵を描く人が、こんな優しそうなおじさんなんだ、という(いや、絵をみるときにそんなことは正直どうでもいいんですけどね……)。でも、今はすごくしっくりきています。

まじめな絵を描く人で、でもラフさやユーモアや愛らしさもあって、実はそれらも写生の基礎にカチッと固められた実力ゆえのものであって、反面柔軟性のある先生でもあって……。
そんな、一筋縄ではいかず、良い意味で裏切られたり、混乱させられたりするところに、惹かれているのかもしれません。
って、複雑に考えていても、絵に出会うと至極単純に「かっけ〜〜〜」とか「かわいい〜〜〜」とか「うっっっま」とか思ったりしています。もうこんな長々と書かずにそういう一言でいい気がしてきた。

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話がまとまらない。
しかし、応挙のおもしろさについて、訊かれても口頭でわかりやすく説明することができないもので、書いてみても、やっぱり簡潔に説明できそうにありません。
日本の絵に写生を取り込んだひとだから云々、とか言ってみても、
これはよく府中市美の金子先生が書いていらっしゃることなのですが、「写生」という言葉の意味が現代と離れていることと、かつ現代人には当たり前すぎるところがネックで、
喋ってみると、むしろ写生って言わないほうがいいんじゃないかと思うくらい(いや無視は絶対できませんが)。
そして写生だけでは全然、語りきれない。

『円山應擧研究』を開いてしまった1月からこっち、できる範囲でちまちま自習をしてきましたが、
まだまだ調べれば調べるほど、わたしは応挙先生のことをなんにも知らないんだなあと思うことばかりなので(当然だ)、
これからもちまちま自習をしていくつもりです。何の役に立つんだと言われましても。趣味です。
とりあえず今んとこ喋りたいことは喋ったので、当分喋りませんので安心してください……ツイッターの下書きツイートもだいぶ消化しました。
しかし応挙先生の話はできたが、つられておもしろくなってしまったその弟子たちの話がちょっと残っている。喋るのか?機会があるといいですね。

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おまけ 1月に描いたまま忘れていたとおぼしき2020年初夢ダイジェスト

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含蓄が多い。(おわり)