19/04/22 今年も府中市美術館春の江戸絵画まつりを推す話

今年はものすごく人気が出ていて、来館者がたいそう増えているようなので、べつにわたし如きがわざわざ推す必要もないんでしょうけれど。
それでも推します。今年も推します。なのでこればっかりは展覧会期中に感想を書いておかないと。

というわけで3月の終わりに行ったときの話です。
一年待った。この日を一年待った。
去年の「リアル」のときに、家光の兎図に『来年だよ』てでかでかと書かれたブッ飛んだフライヤー貰ってから一年待った。

「へそまがり日本美術」というタイトルの意味はなんぞやというところを、べつにわたし如きが説明する必要もないと思うんですけど一応しますね。
うまい絵、きれいな絵、の魅力に惹かれる一方で、
ひとは「きれいじゃない、立派じゃない、むしろ嫌な感じさえするものに、なぜか惹かれてしまう」という感覚をもっていて、
その感覚を、今回「へそまがりの感性」と名付け、その感性をくすぐる絵たちがありますよ、という展覧会。
それは例えば、俗人の考えの及ばぬ禅画であり、あえて素人っぽく描かれた南画であり、雅ではない世界に寄り添う俳画であり、突拍子もない造形や嫌な感じやすっとぼけた感じを惜しげもなく発揮するあらゆる絵画であり、
挙句日本の70年代ヘタウマや西洋のルソー、日本の近代の洋画家たちの絵まで巻き込んで、(図録をみながら書いています)
「江戸絵画まつり」でありながら日本美術を中心にあらゆる作品をチョイスして、へそまがり感覚をくすぐろうという魂胆、だと思うのですが、
わたしは展示室で最初の絵をみたときに、「ああ、これは禅問答だな」と思いました。

いい絵ってなんですか。
うまい絵ってなんですか。

禅問答などと言うと答えが無いようですし、少々大仰なので語弊がありますが、そんな問いかけを、わたしはこの展覧会から受け取りました。

だって初っぱな、仙厓のあんなパンチ強すぎる豊干寒山拾得の屏風出されて、しかもデカイし、なんか今まで見てきた仙厓のなかでトップレベルにデカイし、
その上屏風に「世画有法厓画無法」とか書かれてごらんなさいよ、
これは「世の中の絵には描き方というものがあるが、わたし(仙厓)の絵にはない」という意味らしいですけども。
わーこりゃ禅問答だなって思うじゃないですか。(実際、白隠や仙厓の禅画には、そういう「絵の価値とは?」という問いかけの意味合いもあると、今回書かれていましたけど)

とか、そういうムズカシイこと考えちゃうのに、
仙厓のトンデモな顔した虎の子とか、狩野山雪の梟とか、今回初めてみた風外本高のneko…虎とか、新発見の蘆雪のkorokorowanchan…菊花仔犬図とか、
目の前の絵がゆるくてかわいいと笑っちゃうわけで、ほんっっっとに今回展示室でニコニコしている人が多くて、
ムズカシイこと考えたい人からニコニコしたい人まで楽しませてくれる府中市美術館の懐の深さよ!!ほめすぎかな

毎回ですが、解説やキャプションの文章や展示の構成が、
そういうどんな人たちにも伝えたい、楽しんでほしい、という思いのこもった丁寧さで、感服です。
図録を読み返したらノリはけっこうライトで、でもわたしはこの感じ嫌いじゃないし、(そもそも「へそまがり」という語感がだいぶライトですが、今回のテーマの感覚を「へそまがり」という言葉に集約させるセンスがそもそもすごいし、わたしはこの語感にとても共感する)
ライトなんだけど、押さえるとこはちゃんと押さえてるんじゃないかと思うんですよ。美術史のこと、画題のこと、表現のこと、ジャンルのこと。
たぶん、そうじゃなきゃ、展覧会の流れで「ヘタウマ」の定義についてしっかり押さえたりしない。

展覧会講座で、
「この展覧会がヘタウマの展覧会だと、ネットとかでは思ってる人がいるみたいなんですけど、そうじゃないんですよ」と学芸員の金子さんが仰ってました。あっ展覧会講座聴いたんですよ。その日を狙って行きましたので。
わたしはその言葉を聞いてうんうんと(わかったように)頷いておったのですが、それを踏まえて展覧会を思い返すと、
湯村輝彦さんや蛭子能収さんをもってきたのは「ヘタウマ」とはそもそも何なのかをおさえるため、でもあったのではないかと思う。「ヘタウマ」も「へそまがり感覚」に連なる系譜であるからだけども。
「ヘタウマ」という一言でまとめられがちだけど、「ヘタウマ」とはそもそもこういうものに付けられた名前であって、
展覧会には「狙ってないヘタな絵」も「狙ったヘタな絵」も「狙ったうまい絵」も「ヘタとかうまいとかもはやどうでもいい絵」もあって、そこはちゃんと区別している。
(そういえばいつだかの地獄絵展で、「ヘタウマ」という言葉が使われていて、ん?と思ったことがあったなあ)
湯村さんと蛭子さんとルソーと徳川家光が同じ空間にある展示室なんて、もうお目にかかれないだろうな。あの部屋は攻めてた。

今回話題の家光の絵、講座を聴いてからみてよかったです。
講座では家光のリアリズムに着目していて、確かに近くでみると兎の毛のフワフワ感や木菟の羽の細部などにとてもこだわっていて、ステレオタイプな描き方や見本には困らぬ状況と身分にあって敢えてそういう描き方をするんだから、相当な意志を感じる。
四代家綱の鶏も、法則に頼らずに毎回新しい描き方を試しているあたり、すごく好感持てましたね。別にうまくはなってないらしいけど。
家光や家綱は、絵を描くことは好きだったんだろうか。将軍なんて大変どころじゃない仕事して、そのなかで少しでもたのしんで描けたのだろうか。もしそうだったら嬉しいな。

ちなみに図録には、展示作品の掛け軸を床の間に掛けてみた写真が載ってて、美術館だよりにその掛けてみたときの話が載ってたんですが、これがまた最高で、
ものすごくかみくだいて言うと「ヘンな絵だから床の間に合わないと思ったら、なんか馴染んじゃった」っていう話なんですけど、すごくないですか……
写真を見るとマジで馴染んじゃってるしこれはこれで様になってるんですよ……床の間と日本の絵の心の広さよ……

そしてこれも毎回だけど、知らない良い絵師や知らない良い絵をポンッとみせてくれて、新鮮なときめきをくれるのも春の江戸絵画まつりの良いところ。
蘆雪の絵でみたことがないのが多くて、奇想の系譜展でもそうだったのだけど、どんどん人気が出てるから未発見の作品も出てきやすくなっているのかもしれませんね。
あと去年主役のひとりだった応挙先生は、今回はしばしば比較展示として引き合いに出されていた。つまりは「スタンダードな絵と比べてこの絵はいかにへそまがりか」という比較の、スタンダード要員。(こういう並べ方をされると応挙の絵はおとなしくて、上手くて穏やかで、でもぶっ飛んだ絵と並ぶと、でも応挙だって実はたくさん刺激的な試みをしてて……ああ禅問答)
芳中の屏風も生でみられちゃってよかったね。通期でみられるらしいからまた会える。(※後期も行く)
井特も久しぶりにみたけど、パワーがあってよかったね。

思い出し図録を見返しながら長々と書きましたけど、果たしてこんなんで推せてるのかどうかぜんぜんわかりませんが、
まあわたし如きが推さなくても、たくさんみてもらえるでしょうね。
肝心の「いい絵ってなんですか」の答えが出ませんね。わたしも知れるものなら知りたいのですが、絵の前でニコニコしたりふわーっと見惚れたり、のたうちまわったり(※気持ちだけ)したらもうそれで満足してしまうようです。
またおもしろい絵でのたうちまわらせてください。