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トレーナーへの道!社会人編(前編)

皆さんこんにちは、コンディショニングセラピストの早坂です。

今回は、前回の記事の続きです。
トレーナーへの道と題して、早坂の足跡を追ってみましょう。

就職活動

さて、無事に勉強を頑張り鍼灸あん摩マッサージ指圧師とJSPO−ATを取得して、就職活動をする事となりました。
実はいくつかお声をかけて頂いていたスポーツチームや、お声をかけて頂いていたトレーナー派遣会社様、友人からの紹介でスポーツマッサージの治療院といくつかの選択肢がありました。ありがたいことに。

専門学校の最終学年になると、自分がどうしていきたいのか?何をしていきたいのか?を考えるようになると思います。
自分が目指す道はあってもなかなか叶うことも少ないと思います。
僕は鍼灸あん摩マッサージ指圧師を取得した理由はプロ野球のトレーナーを目指す!ということでした。

ここで悩む所です。僕は資格は取得できましたが、世間での評価は新卒トレーナーです。それを痛感したのがスポーツチームの面接を受けた時のことです。(野球チームではありません)

今、来年使える予算がこのくらいあります。
そこで、新卒の常勤トレーナー(君)を雇うか、オリンピック選手などを見ていた凄腕トレーナーを週に1回来てもらうか検討中です。

と正直に言ってもらいました。
一応、繋がりのある所でしたので少し残念な気持ちになりましたが、よく考えれば当然の事ですよね。
どちらがチームへの貢献度が高いか。
その事があって、やっぱり技術や経験がないといかんなと。

生きる道

もう一つ、お声をかけて頂いていたトレーナー派遣会社様、名だたるトレーナーの方々が働いておられ、そんな中、ラグビーチームの治療家やの話や、プロ野球などに派遣をしている接骨院へのお話。とてもありがたく、とても嬉しく、身に余るようなお誘いでしたが、他の方を紹介させて頂いてお断りさせていただきました。何年でも待つよなんて事務の方に言われ、ますます期待を裏切らないように頑張らないとなと。

実はお断りさせて頂いた理由は2つありました。
1つ目は、お声がかかるその前に行きたいところの目星がついていた事。
2つ目は、そこは夢に一番近いのではないかという事。

僕は生粋の西武ライオンズファンなのです。

その治療院の噂はヒューマンアカデミーで一緒だった同級生からの誘いがあって知りました。
小守スポーツマッサージ出身で、長年西武ライオンズのトレーナーを経て、トレードを期に秋山幸二さんの専属になり、帰ってきて狭山市というところで治療院を開業していたスポーツマッサージの師匠、佐藤圭司さんと出会いました。

何を隠そう秋山幸二に憧れ野球を始めた私はここで働きたいと思いました。
僕は生粋の西武ライオンズファンなのです。(しつこい)

プロ野球選手を見ていた先生に技術を学ぶ!そのためにはなんでもする!という意気込みで、これが僕の目指す道だと思いM2TRAINER さとう治療院に飛び込みました!

丁稚奉公

丁稚(でっち)とは、商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。丁稚として働く (奉公する) ことを丁稚奉公といった。職人のもとでは徒弟、弟子、子弟とも呼ばれる。江戸時代に特に多かった[1]。明治時代以後はいわゆる近代的な商業使用人となっていく。
現代でも一般社員(ヒラ社員)が自嘲的に「まだ丁稚です」と比喩的に使う事もある。上方ことばの丁稚に対して江戸言葉では「小僧」である。
by.(Wikipedia)

とんとん拍子で話は進み、今では珍しい給料は歩合性、その分食事は面倒見てやる。と言われ近くに寮のようなアパートにすみながら弟子となり修行の日々が始まりました。

僕は体育会出身なので特に抵抗はなかったですが、やめていく方も多かったようです。
朝は掃除洗濯、昼夜は先輩の食事を作るための買い出しや料理、電話番、師匠や先輩の治療を見ながら軽擦法をひたすらやるという毎日。
たまたま、同じタイミングで入った同期がいたので練習を毎日マッサージをしあい切磋琢磨していきました。また、布団を丸てそれを押す練習をひたすらこなしました。

1ヶ月くらいでしょうか、徐々に手順がわかり、手が動き始めた頃、近くの高校球児が来るようになり、僕たち新人に少しづつマッサージの仕事を与えてくれました。もうそれは半額でガンガン実践をするという事。
また、常連様の下半身のマッサージや上半身のマッサージなど、少しづつ活躍の場が広がっていきました。

そして3ヶ月が経った頃、福岡に支店を出すこととなり、そこに1ヶ月づつ、もう一人の同期の弟子と交代でいくことになりました。
そこでも、福岡ダイエーホークスの元トレーナーの方を院長として立ち上げから関わる事ができました。
そこでの1ヶ月がすぎた頃、延長だと言われ、約3ヶ月福岡ぐらしでした(笑)
しかし、そこで松岡一義先生(整体の師匠で現在もソフトバンクホークス整体顧問)の治療院でも見学させていただき、貴重な体験を多くさせて頂きました。プロ野球選手の治療や腰痛で抱え込まれて運ばれた方もすたすたと歩いて帰ったりする様を見て、なんだ、こんな世界もあるのか!と衝撃を受けました。
食い入るように見て何がなんでも盗んでやる!という意気込みでいました。
今でも先生の考えかたや手技が僕の治療の一部にもなっています。
関東にも出張で来られていた際も体を貸して頂き、色々と手ほどきしてもらいました。

経験を積む

徐々に仕事を任され歩合でもなんとか稼げるようになってきた頃、後輩も続々と入ってきて、巣鴨にある分院や、新しく病院の福利厚生のためのマッサージ室、渋谷松濤のクリニック内でのマッサージルームと治療院は発展していき、治療院を立ち上げるということに多く参加させて頂きました。

また、アスレティックトレーナーの資格を持っていたので、外の仕事も少しづつ入るようになり、深谷の中学校野球部、東京の女子バスケ部なども担当させてもらいました。

それだけだけでなく、歩合なので稼ぎたい僕は先輩から紹介されたホテルのマッサージの仕事(呼ばれたらお客様のフカフカのベッドでマッサージ)や先生の運転手(夜のお迎え)などで稼いでいました。

そんなある日突然その日はやってきました。
プロ野球の球団トレーナーが入院し病欠で、その代わりでこれる人がいないかという話になり、春の宮古島のキャンプに参加させて頂くことになりました。

続く

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